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ガッカイ

先週、フロリダで行われた
Vision Science Society という学会で発表してきました。

学会というとなんだか堅苦しい気がしますが、ぜんぜん、そんなことないです。
基本的にはパワーポイントとかで
自分のやっている研究内容を発表するのですが、
プレゼンターの人は、
ネクタイにスーツかと思いきや、Tシャツ、サンダルで発表してます。
フロリダという気候のせいもあるのかもしれませんが、ラフすぎ。
それに、近くにビーチがあって、
発表の合間にはそこでゆったりしながらディスカッション。
日本では考えられません。

自分も発表があったわけですが、
当然、使用言語は英語。
聴衆約500人。
それも、NatureとかScienceという
世界最高の科学雑誌に記事書くような人もたくさんいる。
緊張しまくりですわ。
意地悪な質問されたらどうしようと思い始めると
皆の顔が陰険に見えてくる。。。

自分の発表では、
なりふりかまわず、変な発音でも、ゆっくりの英語でも伝わることが優先。
それだけを考えました。
伝わりやすい、スピード、タイミング、単語の選び方、スライドの配色 etc etc

結局、どうにか自分なりにはうまくできた気がします。
いつもは厳しい先輩の人に、NiceTalkと言われうれしかった。
もっとうれしかったことは、
見ず知らずの人に
「きみの発表を聞いて自分の研究の問題が解決した」
言われたことで、
自分のやっていることが
人の役に立っているということに素直に感動。

人に何かを伝えるということに、本当に一生懸命取り組み、
人の役に立ち、何かを生み出すことができた気がして。
# by w_junji | 2004-05-10 00:05

ブログとオシャレ

なんでウェブで日記なんてつけてるの?
知り合いか暇な人しか見ないのに。

ブログを書くとき、
多くの人に見てもらいたいという意識は希薄です。
でも、普段、ぼくらが外出するとき、
誰に会うというわけではなくても、
洋服を着るし、多少なりともオシャレをしますよね。
自分の場合、ブログを書くときもそれといっしょで、
自分のことについて書いているのに
どこか、読む人を意識して書いてしまう。

自分のナマの感情を書き連ねるのは
裸で生活しているのといっしょで、
そこに他人の目は存在しない気がします。
そして、ウェブというメディアでそういうことをする意味はあるのかな?
なんてことを考えてしまいます。
# by w_junji | 2004-05-08 23:39

そんな日

夜、法華経寺の境内を眺めていたら
ふと
「世界人類が平和でありますように」
という立て札が目に留まった。

うん。そうだよね。

素直に思えた。そんな日。
# by w_junji | 2004-04-26 00:56

リンク先が聞こえるリンク

普段、何気なく道を歩いていると、
なんかおもしろそうな音がするから、
なんかいい匂いがするから、
遠くにきれいなものが見えるから
そっちに行きたくなりますよね。

そんな感じウェブのリンクでつくれませんかね。
リンクの先の様子が見える。聞こえる。匂う。
なんでもいいんですが。
例えば、そのウェブを見てなされた会話が記録されていて、
今見てるウェブでの会話が大きな声で聞こえるんだけど、
リンク先の会話も小さな声で聞こえてくるとか。

なんか、そこに生きているひとの生活はただひたすら行なわれているとして、
偶然通りかかった人はそれをいろんな見方で見れたらいいのに。
物理世界じゃ、偶然通りかかった人の姿、生き方は、
そこで、そのときにしか見れないけど、
ウェブの中だったら別にそんなのに縛られる必要ないし。
ルールが違うから。
# by w_junji | 2004-04-24 03:14

茶室の文化はどこへ?

室町時代
はじめて土着の日本人が日本を支配し、文化を創った時代なんだそうです。
そういわれると、
それまでの奈良時代、平安時代、鎌倉時代とはなんか違う気がします。
銀閣や龍安寺が作られた東山文化は日本の心の源流なんていわれていますが、
そんな理由があったのですね。

茶室は特にその性質をあらわしているようです。
茶室という狭い何もない空間のなかで
自分の心の宇宙を省みる、心の宇宙を広げる。

これも、聞いた話なんですが、
茶室の中では自分の心を開き、広げるために
アヘンなど麻薬が使われていたようです。
トランスしてもお茶をこぼさないように、
きちんとお茶を振舞えるように茶の作法ができたということです。

あと、重要なのが掛け軸。
トランスのきっかけとなる、
自分の心に何かを想像させるような絵だったり言葉だったりが描かれている。
ようするにぼくにとってのQheyの音楽みたいなもので、
自分の中から何かを引き出してくれる心地よいもの。
そのころは、掛け軸をめぐって戦争すら起きたそうで、
それだけ、人間の中の宇宙、人間の中の営みを大事にしていたのですね。

今の時代
これだけ自分の中の営みを大事にするライフスタイルはどこにあるのでしょうか。
そりゃあ、こういうことを考えている人は当然いるでしょう。
けど、それを装置として、文化として生活に根付かせた室町の日本人は、
生きることに対してなんと深い洞察をもっていたのでしょうか。
# by w_junji | 2004-04-24 03:04