美術評論家松井みどりさんが、蜷川実花展の解説の中で
「バロックとは合理的なものと心の中で見えてくるものを統合的に編集すること」
と書いていたような気がする。(とりあえず、自分のメモにはそうある。)
そして、もう一言
「私、及び私の大事なことを世界の大事なことに変える錬金術。」
というメモがその下にあった。
これは、多分、自分の書いたことだと思う。
世界を見て、相手を感じて、
自分を錬金することで、相手の望むカタチにしてアウトプットする。
世界は変わり続ける。だから、自分も変わり続ける。
錬金されるものとしての自分であるとともに、錬金術としての自分。
錬金術にはインプットとアウトプットがある。
現実に沿って言うと、クライアントとアウトプットのほうが近いかもしれない。
頼む人がいて、自分に頼まれたものを自分なりの錬金術で金に変えて、提供する。
自分で錬金せずに、錬金されるのを待ち続けていると、
いつしか、寂しさに負けてしまう気がする。
錬金をクライアントのためだけにし続けると、
いつしか、心が折れてしまう気がする。
一人でいるときも、私というひとりの人間のために、私を錬金してあげて。