家族を含め、誰かと生きるというのは
「一緒に滑らかなダンスをするのといっしょで、
お互いの行為が受け入れられるように自分の行為を調和させること」
相手の動きを感じ、それにあわせて自分の動きを調整すること。
一緒にいたいということのためなら、いかようなものでも調和させる。
かける言葉だったり、表情だったり、感情そのものですら。
心があってそれを伝えるというよりも、
行為を調和させていくなかで、二人のあいだに心ができてくるような感覚なのかも。
そして、ここには、物語を演じている役者の私と演出家の私の、2人の私がいる。
演出家の私からみると、役者の私の少し先の未来を演出している。
だから、役者は演出家にとっての過去を実感しながら生きることになる。
そうすると、矛盾かもしれませんが、現在は必然の過去になるの。
そうすれば、迷いもなくなる。
こんなことを書いている私は、
なんだか、お屠蘇の飲みすぎでしょうか。