存在の理由と欲望の理由

「生きている理由」と「生きたい理由」

この2つってパッと見、同じような語感なのですが、
実はかなり違うことを意味している。

なぜ、自分がここにいるのか?なぜ生きているのか?

その答えは物理的には答えられます。
お父さんとお母さんがSEXをしたから。
だけど、価値としての理由は、多分答えることができないと思う。
ロボットのように、何かをするために生まれたのなら、それはあるかもしれないけど。
無目的的に生じたものに対して、無理に意味を与えることってどこか不健全な感じがする。

自分の生の価値、意味を考えることって
未来から自分を見、外部から自分を見る行為。
将来~をするために今はこうしている。
あの人が私を必要としているから私は生きている。

もちろん、そういう考えって自分が役に立っていることをリアルに感じることができるから、
それはそれでいいと思う。
でも、それが過ぎると、
その人自体の存在ではなく、だんだん人としての機能に焦点が当たってしまう。

~ができれば自分でなくてもいいんじゃないか?
あの人が必要とする人は自分でなくてもいいんじゃないか?

なんて感じで。
それって、個人-個人の関係の視点じゃなくて、社会からの視点になってくる。
社会からの視点って、結局、社会自体がうまく機能すれば、
個人個人は誰でもいいという考え方だから、
人としての機能価値を見出そうとすると、生きている意味を見出すことなんてできないし、
外部の価値観が変われば、自分の意味まで変化してしまう。

だから、自分の生きている意味を見出そうと苦しんでいる人を見ると
それが矛盾した行為のような気がしてしまう。

一方で、「生きたい理由」は自分の欲望の源泉を感じること。
視点は自分の内側に向いている。

自分の欲望には必ずといっていいほど原因がある。
例えば、ぼくはあの人が好き。
じゃあ、何で好きなんだろう?
あの微笑むときの眼差しが好き。
自分は心が映し出される眼の力強さに魅かれる。
とか、そういうことを考えると、自分の心の中、相手の魅力がより深く感じられる。

生きたいと思う。
実際、そういうのってあんまり意識に上らないから、
本当にそう思っているのかよくわからない。
なんとなくぼーと生きているだけと思っているかもしれないけど、
死にたいと思うときがあるかもしれないけど、
心のどこかではそう思っている部分があるのだと思う。

そういう気持ちを注意深くひろってあげて、その源を探し当てていくこと。
生きるってそういうことの連なり。
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by w_junji | 2005-01-16 01:34 | 自己紹介の代わり


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