ドアがノックされる音,誰かを呼び止める手の動き.
何かが二度連続で行われるというのは自然のことではない.
しゃべり言葉と詩を分けるものは,詩には韻律があること.
それを口にすると,身体のリズムが生じる.
その意味ではなく,フォーマットによって抑揚が生じる.
コミュニケーションのカミサマはそんなところに降りてくる.
何を言っているかわからないけれど,それは正しいと思う.
なぜか知らないけれど,論理的に間違っている.
世の中,そんなことのほうが多い.
間違っているものにはリズムがない.
論理がないものにはエネルギーの動きがない.