しなやかであるために

「自分に何が足りない」かではなく、「自分に何が必要か」と考えること。

欲望を「消費」するのではなく、それを「認め伝える」こと。

身の丈の欲望と、シンプルだけど必要なもののある生活。

自分の意思で自分を慈しむことが、他者を愛する第一歩。

気の進まないことはやらない。最終的に自分を苦しめるのは自分。

やることは、丁寧に、思いを込めて。

世界の一部である感覚。世界が自分の家だと思ったら、世界中のものが愛しく見えてくる。
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# by w_junji | 2007-01-24 01:10 | 自己紹介の代わり

春秋1月号 寄稿

春秋社の月刊情報誌『春秋』1月号に寄稿しました。

全国有名書店にて手に入りますが、
(本屋の店員さんには春秋社が出している無料PR誌というとわかります)
自分がいくつか回ったところ、既になくなっているところも多かったので、
手に入れるのはけっこう大変かもしれません。

なので、欲しい方は
自分宛(MIXIもしくはw_junji@hotmail.com)に郵送先を教えてもらえば、郵送いたします。

●特集:ベンディング・カルチャー

○改造の文化 久保田晃弘(多摩美術大学・教授)

○「知覚」のベンディング 渡邊淳司(科学技術振興機構/NTT)

○「環境」のベンディング 田中浩也(慶応大学・講師)

○「社会」のベンディング ドミニク・チェン(東京大学/ICC)


また、4人が昨年の5月に日本科学未来館で講演したときの様子が以下で見られます。
http://www.sigae.org/archives/art/
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# by w_junji | 2007-01-08 03:18

1月20日(土)関連舞台のお知らせ

横浜ダンスコレクションR<受賞者公演>  

2007年1月20日(土)19:00開演(18:30開場) 
会場:ランドマークホール
料金:前売 一般3,500円(当日4,000円)
学生2,500円(当日3,000円)

2006年 横浜Solo×Duo<Competition>+にて各賞を受賞した振付家、
【ソロ×デュオ部門 審査員賞】の3作品を同時上演

杏奈 「B's~ワタシダッテアイサレタイ~」
川口ゆい 「REM – The Black Cat」
浜口彩子 「無敵」


川口ゆい上演作品 
”REM - The Black Cat” 

エドガー・アラン・ポーの短編小説“黒猫”をモチーフにしたソロメディアダンスパォーマンス。
疾走感のあるダンスと、cellの映像による緻密な空間演出、そして観客一人ひとりが違う瞬間に見る ”情報 ― 幻”を生み出す LED saccade-based displayを身体に縛り付けた“処刑台”による激しいラストシーンが、 メディアに溺れた大都市に暮らす人間の混乱と孤独を描き出す。 2006年ベルリンのタンツターゲフェスティバルで上演され、地元紙で”クレイジーで、ストレンジで、素晴らしい!” と絶賛された本作品完全版の日本上演となる。

<作品ノート>
妻殺しの罪で絞首刑となった“男”…
情報化され、永遠にモニターの中に漂い続ける“殺された妻”。
男の魂は無名の肉体に生まれ変わり、 情報という過去の残滓に溺れた世界で生きる。
いびつな空間から再び彼を脅かす、“黒猫”の幻。
心は解放を求めて、再び肉体を処刑台へと送るのだろうか…

川口ゆい:構成・振付・出演
マリア・アドリアナ(66b):VIDEO出演(殺された妻)
cell:映像
渡邊淳司:LED saccade-based display
ファビアン・ブライシュ:照明・装置
Justine+ARAMAT(Paris/Berlin):衣装
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# by w_junji | 2007-01-02 02:46

踊るように、演じるように。

家族を含め、誰かと生きるというのは

「一緒に滑らかなダンスをするのといっしょで、
お互いの行為が受け入れられるように自分の行為を調和させること」

相手の動きを感じ、それにあわせて自分の動きを調整すること。

一緒にいたいということのためなら、いかようなものでも調和させる。
かける言葉だったり、表情だったり、感情そのものですら。

心があってそれを伝えるというよりも、
行為を調和させていくなかで、二人のあいだに心ができてくるような感覚なのかも。

そして、ここには、物語を演じている役者の私と演出家の私の、2人の私がいる。

演出家の私からみると、役者の私の少し先の未来を演出している。
だから、役者は演出家にとっての過去を実感しながら生きることになる。
そうすると、矛盾かもしれませんが、現在は必然の過去になるの。
そうすれば、迷いもなくなる。


こんなことを書いている私は、
なんだか、お屠蘇の飲みすぎでしょうか。
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# by w_junji | 2007-01-02 01:09 | 自己紹介の代わり

いまさら2006年のこと

年末まで中国に行っていたので、一年を振り返るということをせず、
年も明けてしまい、なんとも風情がありませんが、
なんだか、パスポートのはんこが増えたなぁ。
と思い数えてみたら、なんと12回も海外に行っていました。

4月ソウル、カナダ
6月ロサンゼルス、ロンドン
7月パリ、ブリズベン、ボストン
8月サンクトペテルブルグ
9月ロンドン
10月アトランタ、バンコク
12月中国・マカオ

「いろんな世界が見られていいねぇ。」
といわれます。

はい。見てきました。

昔、いろんな世界が見てみたい。
そうすれば、今までの自分とは違った自分になれる。
そんなことを思っていた時がありました。

確かに、私がそこにいて、それを感じている瞬間は
何か違ったものになっているのかも知れません。

でも、当たり前だけど、体験とは、
永遠に、自分の何かを変えてくれるものではない。
自分の未来に何かを約束してくれるものでもない。

ただ、体験は、感じ方や行為のレパートリーを増やしてくれる。

体験て、今目の前にある世界をありのまま感じ、ひっ捕まえて、即座に反応すること。
世界とダンスを踊るように、目の前に起きていることの呼吸を感じ、
それにあわせて、身体を動かし行動すること。
言葉で記述してたら間に合わない。

それは、私の身体と共に、そこでおきた。
そして、それは、言葉でなく、私の身体に刻み込まれている。
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# by w_junji | 2007-01-02 00:55

客家の血

客家(ハッカ、北京語 : Kèjiā /客家語 : Hakka)は、
中国の南部に住む漢民族のエスニック集団である。
唐から元のころに華北から移住してきた人々の子孫であると伝承されている。
・・・
移民の通例として土地の所有が困難であったために流通や商業に従事することが多く、
師弟の教育にも熱心なことで知られる。
商業のほかには教育の高さから教職につくことが多い。
これらの特色から「中国のユダヤ人」などと呼ばれることもある。
(Wikipedia)

新年のご挨拶の前に。
昨年末(12月31日まで)、中国の珠海という香港の近くの都市に行ってきました。

そこで感じた、客家の血について。

その街に住む日本人の友人が
「客家の人と日本人は、感覚的に通じるものがある」と力説していました。
客家とは、上にあるような出自を持つ人のことですが、
彼の会社の幹部の多く、さらには奥さんまで客家だそうです。

ぼくもその話を聞いたときは、
「ふーん。そんなものもあるのですか。」程度に聞いていました。

だけど、実際、
ぼくが、珠海の街で中国人の人と触れ合うなかで、
「この人のことをもっと知りたい!」と思った数人の人、全てが客家でした。
(驚いたことに、日本にいる華人の友人にも当てはまりました)
客家の人口に対する比率など僅かなものなのに。。。

客家のインスピレーションが、ぼくの何かと引き合っているのは確かみたい。

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# by w_junji | 2007-01-02 00:02

カタメの展示のお知らせ

────────────────────────────────
 さきがけライブ2006のご案内  【12/15-16開催・東京国際フォーラム】
  ~科学技術ライブを体感してみませんか?~
────────────────────────────────

さきがけライブでは、一般の学会・シンポジウムとは趣向を変え、さきがけの
現役研究者ならびにOBの方々のご協力を得ながら、多岐にわたる研究の
最前線をライブ形式で報告することを目玉としております。
つきましては、本ライブの趣旨をご理解いただき、多くの方々にご参加いただ
けば幸いです。

【さきがけライブの特徴】
★その1:最先端の基礎研究からビジネスを見据えた新しいテクノロジーまで、
      様々な分野の気鋭の科学者が一同に集まります。
★その2:企業へ成果をアピールしたい-産学の連携推進を目指します
★その3:高校生とのコラボレーション-新しい形の学習支援活動を紹介します

  ※JSTからも、JSTの様々な事業の紹介、さきがけの募集・選考に関する
    情報を提供いたします。

□■━◇━━━ さきがけライブ2006 開催概要  ━━━━━━━□◆━

 日 時:平成18年12月15日(金)、16日(土) 10:00~17:00
 場 所:東京国際フォーラム ホールB7
     (東京都千代田区丸の内3丁目5番1号)
 主 催:独立行政法人 科学技術振興機構
 参加費:無料
 内 容:下記ホームページをご参照ください。

  http://www.the-convention.co.jp/sakigake-live2006/

   ☆☆ 参加登録は、上記Webより受付中です ☆☆

□■━◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□◆━

皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。
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# by w_junji | 2006-12-08 03:29

がんばれ 神道!

ひょんなきっかけで、神田明神を正式参拝してきました。

「正式参拝」とは
拝殿(はいでん=お祓いするところ、神前結婚式も拝殿で行われます)に入り
お祓いを受けて身を清めたうえで神前に進み、神様に参拝すること。
(普通の参拝は、拝殿には入らずにその前でお賽銭を入れて終わり。)

白いひらひら紙を束ねた棒を、頭に向けて振られたとき、
風とはまた違う、空気のざわめくふわっとした感覚がして、なんだか鳥肌が立ちました。

感動したのは、そういう厳かな部分だけでなく、もうひとつ。
その取り組みのラディカルさ。

秋葉原が近いこともあって、
パソコンや電子機器のためのITお守りが売っていました。
そして、アニメオタクの人のために、袋に犬夜叉をあしらったアニメお守り。
(中のお守り自体は他のものと同じだそうです。)

最近は、巫女のコスプレがはやりだそうで、
正式な巫女のマナー講座を一般向けに開いたりしているそうです。

また、「明神さんとビジネスマンをつなぐマガジン Mind」
というフリーペーパーを配っていましたが、
その表紙が秋葉原でメイドカフェのちらしを配る、メイド姿の女の子。

神前結婚式について、神社の人の話を聞いたら、
「わたしたち、ブライダル業界では、
 最近、キリスト教式のチャペルでの結婚式がはやってますが・・・」
と言っていました。
神社の業種はブライダル業界。。。
無意識にそう言い切っていたところがすごい。

実際、式の形態としては、キリスト教式のほうが多いですが、
最近は、神前結婚の人気も上がっていて、神田明神では増えているそうです。
(ちなみに、神前結婚というのは、古くから伝わる日本の伝統ではなく、
 つい最近、明治時代に始まったものです。それまでは、各家で行われていたそうです。)

そういえば、神前結婚の入場に
キリスト教式に赤い絨毯を拝殿まで引いたりもしていました。

時代に迎合することなく、古くからの伝統を
受け入れやすく、親しみやすくするというのは難しい試みだと思います。
それらは、一歩間違えば、ひどく陳腐なものになってしまう危険をはらんでいます。

神田明神は、ぎりぎりのバランス感覚で、
この時代における、ひとつの神道のあり方を提案しているのだと思います。


信仰とか神様とかってそれを信じる人がいて、何ぼの商売。
神社は、人々の欲望と恐怖を形あるものでつなぎとめ、俗を聖に昇華させる装置です。
そこには、その時代の趣向・妄想が反映されるのはある意味当然なのかもしれません。

最後に、神社の方が締めに使った言葉を少しアレンジして、
「眼に見えぬ○○の心に通ふこそ 人の心の誠なりけり」
(○○には、神、宇宙、私、人など、各自好きな言葉を入れてみてください)
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# by w_junji | 2006-11-20 02:48

微笑みの国:タイ

先週、バンコクへ行ってきました。
東南アジアで開かれる学会は珍しいです。
雨季が終わったばかりらしく、
昼間は蒸し暑さが少し残るものの、午前中や夕方はすごしやすかったです。
やっぱり、生活の中に河が流れているというのは
物理的にも、精神的にも、いろいろな意味で豊かさをもたらしている気がします。
(写真は船の上から見た暁の寺 ワット・アルン)
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昔、自分の作品を評価していただいた
Christa Sommererさんにもお会いできました。
(彼女はトゥクトゥクという三輪タクシーがお好き)
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残念ながら、アユタヤ王朝の遺跡の多くはビルマ軍によって破壊されてしまいました。
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# by w_junji | 2006-10-30 21:26

備忘録

おもしろそうなイベントのメモ。

直島スタンダード2
2006年10月7日(土)~12月24日(日)
2007年2月24日(土)~4月15日(日)@直島

ビル・ビオラ展
2006年10月14日(土)~1月8日(月)@森美術館

20世紀コンピュータ・アートの軌跡と展望
―現代アルゴリズム・アートの先駆者・現代作家の作品・思 想―
2006年11月3日(金)~12月17日 (日) @多摩美術大学美術館
11月10日(金)15:00-16:00
基調講演「コンピュータ・アートの世界―ヒューマン・メディアとして の未来へ―」
講師:坂根厳夫(多摩美術大学客員教授)

府中ビエンナーレ
2006年10月21日(土)―12月24日(日)@府中美術館

ダライ・ラマ法王 東京講演
2006年11月10日(金)14:00-16:00
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# by w_junji | 2006-10-23 06:23

Neuroscience2006

アトランタで開かれた、
ニューロンオタク、神経回路オタク、脳オタクの集まり(学会ともいう)に行ってきました。
自分は今回初参加でしたが、参加者3万人と、この分野ではかなり大きな集まりです。

オタクの集まりの本家、コミケは1日の参加者が15万人だから、その5分の1くらい。
神経科学者、世界中集めてもそのくらい。
それを多いと見るか少ないと見るかはなんとも。

ところで、
「3万人だと、武道館いっぱいですね。
神経科学の認知度はロックンロールスライダーズぐらいですかね。」
とわけのわからないことを上司に言ったら無視されました。
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アトランタは霧の街でした。
ビルの30階以上は雨模様の空のなかへ消えてゆく。
なんだか、映画のワンシーンに出てきそう。

「そら」という言葉の響きはいつも同じだけど、
空から感じる思いは世界各国ぜんぜん違う。


ちょっと話はそれるかもしれませんが、
脳は世界の安定を求めるものらしいです。
ちょっとヘンなことが起きても、「世界は変わらない、これはいつもの風景だ」って。
極論すると、脳は死なない。もしくは、死を想定していない。
いつまでも、どこまでも、世界が安定して続いていくと思っている。

けど、身体は変化を敏感に感じて、いろいろ主張している。
「この花の匂いが好き」とか、「あ、あの人嫌な感じ」とか。
身体はもっとダイナミックで、官能的。

脳が変わらないと言っても、それはけっこうウソ。
何かを形にする、つまり、言葉にして、考えるって事は
逆に何かを捨てているって事だから。

それをもう一度どう拾うか。
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# by w_junji | 2006-10-23 04:43

Feel alive

なんだか、ぼけーっとできる時間が久しぶりにとれて、ボーっとしてます。

何をするわけでなくとも、
「はい。私は元気です。皆さんはいかがですか?」っていえるだけでよくって、
それぞれが、ふつうに生活して、
お互い「自分は元気だよ!」って発信し続けるだけで、お互いを元気付けられる。

世の中シンプルなはずなんだけど、
いつの間にかいろんなことに巻き込まれ、疲れ果て、いろんなものが見えなくなってしまう。

自分の好きなものを、自分なりなやり方で集めて、交換する。
それは、モノかもしれないし、オモイかもしれない。

毎朝、紅茶を入れるときの、紅茶がコップに注がれる、お湯の積層していく音が好き。
自分で作ったものを、自分で食べるときの「うーん、おいしいかも~」っていう感じ。
好きな音楽を聴いて、踊っているときの身体が溶けていくような感じ。
星空や月を見たときの、きれいなものに囲まれているという実感。
お茶やバレイのような、型の中でどう思いを伝えるかという行為。

そういう好きなものを集め、共有する。
今日はぼくの好きなことをしたから、明日はあなたの好きなことしよう。
そんな連なりのなかで、時に苦しみ、ともに笑い合う。

それだけなんだとおもう。
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# by w_junji | 2006-10-10 02:41 | 自己紹介の代わり

冷蔵庫に電源をいれるところから

最近、忙しくていろんなものが機能不全でした。
冷蔵庫も電源を抜き、ご飯を作ることもなく。
身体もうまく機能しているとは言い難く。
精神も他人と関わる余裕がなく。

まずは、冷蔵庫に電源を入れ、自分の身体を作り直すところから。
料理の本を買ってみました。
一人の人間として、やるべきことは多く、眩暈がするほどです。

自分がまともに生きていること。
人と関わりを持ち続けること。
自分と対話し、人と交感する方法を持つこと。

身近な人にこそ感謝を。
チャリティは家の中からです。
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# by w_junji | 2006-09-28 02:30

シアワセのための物語作り

今ロンドンです。
なんだか、自分がいつもより笑っている気がします。

先日、ロンドン大学のエライ先生と打ち合わせをしてきました。
その日はあいにくの雨でした。

予定の時間より少し早く着いて、オフィスの待合室で待っていると、
背の高い英国紳士が、ずぶ濡れになってやってきました
「モーニン。ジュンジ。自転車で来たらひどく濡れてしまったよ。ガッハハ。」

ガッハハ。ってちょっと下品な笑いですよ先生。
とか思いながらも、
「ハハハ。そうですね先生。早く着替えてくださいよ。」

なんてやりとりがありました。

そのとき自分は、笑いながら
そっかぁ。先生は「ギャー雨だぁ」とか思いながら
自転車を飛ばしてきてくれたんだなぁ。とか勝手に想像してしまいました。

日本だったら、深刻に「天気が悪くてねぇ」なんて話をまじめにしてたかもしれませんが、
こっちだったら、「ガッハハ。」ですよ。

ここにいると、なんだかちょっとしたことにも物語があるんですよ。


全てのことに、ちょっとした遊びというか、
深刻さとの間に一歩引いて、それを受け止める余裕があるような気がします。


人とのかかわりって物語。
ちょっと引いて何でも楽しんじゃう、あえて物語をつくるという意味では、
少し演じているのかもしれません。

でも、その演じ方は、すごく即興的。
相手の言葉にあわせたユーモア、即座に反応する瞬発力
相手を感じる洞察力、感情を交感する表現力。
それらがないとできません。

多分、ぼくら日本人はもう少し演じてもよいのだと思います。
生活にちょっとした物語を生み出す、ちょっとしたアクション。

そして、演じていることをわかった上で、いろいろ楽しんじゃう。
その物語の中での自分を楽しむうちに
だんだん、冷静に見ている自分が消えてしまうかもしれない。

でも、それはそれでよくって、
演じているときしか起きない狂気もあるわけだし(恋愛とか?)、
その瞬間の一体感、自我の消滅、知らない自分との出会いはすばらしいこと。

例えば、自分が講演しているときにしゃべっていることなんて、
普段考えたこともないことが理路整然とでてきたりするもので、
演じている中からでてくる予期しない物語は新たな気付きを与えてくれます。


物語は豊かな生活、シアワセのために必要なもの。
そのための、しなやかさ、洞察力、行動力を日々磨くこと。
そして、物語のなかで演じている自分と、それを見ている観客としての自分を
行ったりたり来たりする体力、精神的強度を持つこと。
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# by w_junji | 2006-09-23 18:38 | 自己紹介の代わり

月は自分で光らない

人間には
誰かに照らされて光り輝く月のような人と
平和な豊かさを持った太陽のような人がいる気がします。

どちらかというと、
自分は他者がいないと生きていけない、月なのだろうと思います。

自分のやっていることが、
どこかで誰かの(もしくはそこにいるあなたの)シアワセにつながること。
自分の思いを伝え・共有し、それが誰かの魂の肥やしになること。
自分はそういうことを心から望んでいるつもりです。

でも、一人で無人島に行ったら、餓死してしまうかも。

サバイバルの知識がないとか料理ができないという問題じゃなくて、
他者に支えられ、他者を喜ばせることで自分を保持してきた人は
他者のいない世界にいったら何もしなくなります。
寂しいとか感情的な問題というより、もう少し根源的なことかも。

誰もいなくても詩を作り続ける人もいれば、
誰かに聞いてもらえるから詩を作る人もいます。

つまり、誰もいなくても自分を大事にできる人もいれば、
他者がいなければ自分を大事にできない人もいます。
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# by w_junji | 2006-09-15 01:37

そこなのです。

○そこ1:あなたのシアワセは何なのさ?

なんかいろいろ複雑に見えるけど、
結局は、それだけのことなのだと思う。

あなたにとって、何が大事で、何がなくなると生きていけなくなるのか?
自分にとってあなたは何で、あなたにとって自分は何なのか?

大事なことってシンプルでストレート。
「ほんとにこれがいいと思っているの?」と誰に聞かれても
迷いなく進んでいける。
それだけ、直感的だし、よく考えたこと。

ぼくにとって人の存在感というのは、
その人が何が好きで、何を大事にしているのか?
その思いの質量だったり、エッジさが大きい。

何をやっているか?ではなく、
どう思っているか?どういう関係を歩んできたか。
他人や世界とのインタフェースは物語でしかないし、
その物語の向こうにあるメッセージがすべて。


○そこ2:向こうの世界のリアリティ

日本にいると、なんだか世界と自分の生活が切り離されたように感じます。
ロンドンにいたときには、社会の中で起こることは
どこか、自分の生活とつながっている気がしていました。
実際、自分の命と関係することもあったのですが、
目の前のテレビのニュースでさえ、常に自分と関係付けられていた気がします。

日本にいると、なぜか、
日本の社会というどこか他の国の出来事を見たり聞いたりしている気がします。
どうしてこうも世界に対する切実さがなくなってしまうのでしょうか?
どうしてこうも世界で起こっていることに対する感度が下がるのか?


話はそれるかもしれませんが、
昔(たとえば、平安時代)の人の生活にはいろんなものがリアルに存在していた気がします。
今って、物理的にあるものにしかリアリティを感じない。
なんて貧しい。
昔の人は怨霊だって、妖精だって本気で怖がっていた。
物理的にいるから怖くて、物理的にいないから怖くないってなんなのでしょう。
物理的存在の有無じゃなくて、それを感じられるかどうかだと思うのです。

物理的には目の前でそのことはおきていないかもしれない。
でも、向こうにあることをどれだけリアルに感じられるか?
そして、そこで自分が何ができるか。
切実さと想像力の問題。

たまたま、昔の公家の日記について知る機会がありました。
見えない世界に対しても、生々しく、ざらついた毎日を送っていたのがわかります。

そういう想像力って、おそらく、
今、ぼくらが海の向こうで起こっている悲しいことややるせないことを
想像する力にもつながるのだと思うし、
なんだか日本にいるとその力が弱まっていく感じがするのが寂しい。

ほんとは、もっと自然な力のはずなのに。
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# by w_junji | 2006-09-14 22:42 | 自己紹介の代わり

展示@未来館のお知らせ

今週末(16,17日)にお台場の科学未来館で
体験型エンタテインメント・アート技術の展示があります。
(自分も展示を行います。)
よろしかったらいらしてくださいませ~。
無料です。

http://interactivetokyo.jp/2006/
http://interactivetokyo.jp/2006/exhibit.php
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# by w_junji | 2006-09-13 00:33

ロシア・サンクトペテルブルク

1週間、ロシアのサンクトペテルブルグ(旧レニングラード、ロシアの西の端)に行って来ました。
ホテルの窓からの眺めはすごく幻想的で、
朝靄の川縁には現実離れした風景が広がっていました。
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ヨーロッパの河のある街は、独特の雰囲気があって好きです。
ロンドンのテムズ川、パリのセーヌ川、フィレンツェのアルノ川、ブダペストで見たドナウ川。
街の中心に河が流れていて、川向こうの風景を眺めながら歩いている間は時間を忘れます。
そして、河は朝昼晩、違った顔を見せてくれます。
特に夜、街の光、橋を渡る車のヘッドライト、人工的な光の中に照らされる川面は
現実感があるようなないような不思議な感じを受けます。

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そんな幻想的な街の様子とは裏腹に、
水道から出てくる水は濁った黄色です。
飲めません。お風呂もバスクリンを入れたような色になります。
スリがたくさんいます。
学会会場で盗難に会った人も何人もいて、なんだか、バランスの悪い国でした。

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エルミタージュ美術館は混みすぎです。
開場30分前に並んでも30分くらい待ちます。
門が開くとロシアの人々は何事もなかったように、横から入ってきます。
ロシアに並ぶという文化はないようです。

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ちなみに、
アエロフロート・ロシア航空は思ったよりも悪くありません。
ロシアの夏は夜の10時まで明るいです。
ロシア語は英語より起源が古いそうです。
ロシア人でもウォッカを飲んで酔いつぶれます。
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# by w_junji | 2006-08-29 03:27

交換する生き物。人間。

「人間てなんですか?」

って子供に聞かれました。
(自分に子供はいないので、正確にはその辺にいた他人の子供にですが。)

なんでしょう?
そのときは、「交換する生き物だよ」って答えました。

もちろん、人間はモノとお金だったり、情報だったりいろんなものを交換してます。
だけど、一番交換してうれしいのは、自分の思いと誰かの思いなんだろうと思います。

「そうそう、ぼくもそう思う!」とか「へぇー、そういうふうに考えるんだぁ」とか
相手の思ったことが、自分と同じだったり、違ったり、
大事な人と同じ思いを探して一喜一憂したり、自分や相手に新しい発見をしたり。
そういう思いを、肩肘張らず、自然に共有し積み重ねていくことが大事なんだと思います。
そうやって、生活の中で
瞬間を素通りさせるんじゃなくて、かみしめ、共有できたら、よいなぁと思います。

そういう意味で、交換する生き物。人間。

そう思うと、人との付き合い方って、もう少しシンプルかなと。
いろいろ、難しいこと考える前に、
結局大事なのは、その人のことが好きか嫌いか、それが楽しいか苦しいか。
その人と思いの交換をしたいかどうかで、
相手との関係のなかで悩んでいる大抵のことはは些細なことのような気もします。

あと、最近、思うのは、目の前にいる人は、自分の鏡。
自分を大事にできない人は人も愛せない。
相手を認められないのは、自分に許せないところがあるから。
うまく交換できないのは、結局、自分で自分の気持ちをわかってなくて、もてあましているから。


以下、勝手に自分メモ。
自分の悪い癖は、相手との交換に対する気持ちにブレがあること。
同じ人に対してでも、今は、「交換したい!」というのと、
「あんまり交換したくない」との差が激しい。
態度が一定しないから、相手は困惑してしまう。
稚拙なそういう態度のブレを少なくすること。
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# by w_junji | 2006-08-08 09:17 | 自己紹介の代わり

Camille

Siggraphでボストンに来ました。
自分たちの展示に意見をもらえることもさることながら、
Siggraphのよさは普段会えないいろいろな人と話ができることだと思います。
日本にいたら、なかなか会えない人としゃべれたり、
何か用事がないと、会えない偉い先生からも気軽に意見をもらえたり、
同窓会のような学会だなぁと思いました。

また、ボストン美術館は素晴らしいです!!!
大英美術館のように数は多くないのですが、
作品の選び方や展示の仕方に凝っていて、
大英美術館が卸売だとしたら、ボストン美術館はおしゃれなショーケース。

何より、モネの作品がたくさんあるのがよかったです。
モネの作品の見ていると、作品の外に溢れ出す世界にうっとりしてしまいます。
あと、見る距離によって異なる世界が感じられるのが素敵です。
本当は、直島の地中美術館のように、
モネの作品のためだけにひとつの部屋を作ってもいいのにと思います。
今回は、モネのWifeを描いた絵がありました。
その前でずーーと立ち尽くしていました。
モネにとって、世界や人、社会はどんな風に見えていたのでしょう。
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(Photo @Museum of fine arts Boston)
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# by w_junji | 2006-08-08 08:03

滝行@伏見稲荷

お世話になっている先生の紹介で、伏見稲荷で滝行しました。
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生まれてはじめての滝行の感想。

滝自体は、水が一筋の流れとして、頭に降ってきますが
滝に入るとなんだか、体全体が何かに包まれたような感じがしました。
そして、滝に打たれている最中はなんだか時間が止まっているようで
どのくらいの時間、滝に入っていたのか自分ではまったくわかりませんでした。

ちょっとした宗教体験。。。
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# by w_junji | 2006-08-08 07:29

超音波スピーカ

一ヶ月近くまえですが、7月15,16,17日Brisbane Festivalで舞台に参加してきました。
オーストラリアのゴールドコーストのそばで、近くにはリゾート地があるのに、
ひたすら、くらーい小屋のなかで作業してました。

以前は、視覚系の演出が主だったのですが、今回は聴覚系。
今回は超指向性超音波スピーカという小難しい名前の機材を使いました。

どんなものかというと、普通、音は音源から広い範囲に広がって伝わりますが、
この装置を使うと、下の図(a)のように、ある一定範囲にしか音が届かないというもの。
この装置は、聞こえない超音波を使って可聴域の音を提示しているので、
超音波がどこかにぶつかるまで音として聞こえません。
そのため、おもしろいことに、このスピーカを壁に向けると、
壁から音がしているように聞こえます(図(b))。
また、人に向けると人から音がしているように聞こえます(図(c))。
やってて思ったのですが、
しゃべらなくてもその人から音が聞こえてくるっていうのは、
非常に面白い体験だなぁと思いました。
人ってしゃべらなくてもいろいろ発しているものがあって、
この装置を使うとそれを音として表現できるのかも。
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舞台の様子はこちら。
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(Photo: T. Yoshida)

PS 舞台、装置の概要などは今年のVR学会の予稿集にのります。そのうちHPにものせます。
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# by w_junji | 2006-08-08 07:13

講演のお知らせ@京都造形芸術大学

「第2回 モノ学・感覚価値研究会」

日時 2006年7月23日(日)14時00分~18時30分

場所 京都造形芸術大学 人間館4階教室
〒606-8271 京都市左京区北白川瓜生山2-116
電話 075-791-9121

テーマ ものづくりの現場から、理論的かつ実践的に「モノと感覚価値」にアプローチする

発題者
1. 藤井秀雪(京都造形芸術大学教授)
 「モノと感覚価値 ―― マネキン研究の立場から」

2. 近藤高弘(アーティスト・陶芸家)
 「モノと感覚価値 ―― 火土水アースワークと陶芸の立場から」

3. 渡邊淳司(科学技術振興機構 さきがけ / NTTコミュニケーション科学基礎研究所)
 「モノと感覚価値 ―― 認知科学とロボティックスの立場から」
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# by w_junji | 2006-07-16 14:36

ロンドン行きます

研究の関係で数日ですがロンドンに行きます。

歩いて移動できる街はいいなぁと思います。
喧騒の中を歩いて、ふと公園で休んで空を眺める。
ちょっと気が向いたら、ミュージカルへ。
なんてことができる街。

人は適度に無関心だし。
生活を何より大切にするところも好き。

東京ってなんだか少し広すぎる気がします。
どこかで何かをやっても、それが広がる中でかき消されてしまうような無力感があります。
顔が見えないというか、もやもやっとしていて、実在としての人の密度が薄い感じ。

ロンドンで何かをやると
どこかで誰かが見ててくれそうな気がするのは気のせいでしょうか。
自分が思う心地よさとか快楽、そういうものを再確認させてくれる。
そんな雰囲気。
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# by w_junji | 2006-06-16 18:29

サイエンティスト オン ザ ストリート

東京、岐阜、大阪、広島と4日連続の発表・講演ツアーが終わりました。

東京と広島は普通の学会でしたが、
岐阜と大阪は、つてを頼りに研究室を見学するとともに、
自分一人で1時間程度、講演するというものでした。

なんだか、研究をするのって、ミュージシャンの仕事に似てるかも。
(ミュージシャンに失礼?)
自分のメッセージを込めて曲を書き、演奏する代わりに
自分のメッセージを込めて研究し、発表する。
CDをだす代わりに、論文や本を書く。
ライブをする代わりにプレゼンをする。

ライブってメッセージを伝える大事な手段だし、
音楽のライブは、フェスティバルやテレビ番組だけじゃなく、
ストリートライブとかいろんな形態がある。
研究だってそうあっていいはずだと思いました。

研究も、ミュージシャンが「ちょっと演奏しようか?」と言う代わりに
ながしの科学者が「ちょっとプレゼンしようか?」って
そのへんでストリートプレゼンをはじめてもいいかも。
ストリートというのは極端でも、ふらっとどこかの研究室にいって、
プレゼンして帰ってくるってのは全然ありだと思う。

たまには、ラボを捨て、街へ出よう。

そういえば、去年ベルリンで、
偶然知り合ったフンボルト大学の学生さんと話をしているうちに、
「じゃ、明日ちょっとプレゼンしに行きます。」ってことになって
ぜんぜん知らない研究室の人相手にプレゼンをしたことがあります。
いまだに、その研究室が何をしているところなのかよくわかりませんが。。。


あと、研究発表はパフォーマンスだから、
見ている人を引き込んでなんぼ。こだわってなんぼ。
プレゼンに笑いを入れたり、
ミュージシャンが衣装にこだわっているように、
ポスター発表の文字の色と洋服の色を合わせるおしゃれも素敵な演出だと思います。
なんでもあり。なりふりかまわず、どんな方法でも
相手をハッとさせるようなメッセージを伝えられれば勝ちです。
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# by w_junji | 2006-06-11 01:01 | 自己紹介の代わり

John Cage 4'33

寝る前にJohn Cage 4'33を見る。(4'33何も音を鳴らさないという演奏(?)。)
フルオーケストラの4'33。
何十人ものフルオーケストラを集めて、千人近くの観客を集めて、何も演奏しない。

静寂という音楽。暗闇の映像。触われない触覚。
ないものはなによりもそこにある。

例えるなら、何かにゆっくり触られる直前の鳥肌のたつ感じ。

そんな存在感。
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# by w_junji | 2006-05-25 03:59

第3のモクモク

京都で学会があって、ユング派の心理学者や宗教学の先生、
セラピスト、宮司さんなどとお話する機会がありました。
(その影響か、今回の記事は少し怪しげです。)

ところで、ヘンなものが見えたり、
精神状態がおかしくなったりするのは、自分だけのせいなのでしょうか。

世界を見てる自分には魂がある。
だから、世界がヘンに見えるのは自分のせい。

当たり前のように聞こえますが、でもそれって、じつは傲慢な考え方なのかも。
人間にしか魂はないと思っているから、感じているものはすべて自分のもののように思う。

でも、例えば、会話には魂があると思いますか?
誰かと話していて、話していくで、「あれ?ぼくってこんなこと考えてたんだ!」って
会話の連なりから自分の心の奥が引き出されたことはありませんか。

自分も相手も魂がある。
もしくは、何かを入・出力するひとつのシステムと言ってもいいのかもしれません。
自分も相手もそれぞれ別のシステム。
そして、その2つシステムの間で交わされる会話は、その2つとは別の第3のシステムです。

自分も相手もそれぞれの都合、考え方で発言していますが、
そこで交わされる会話にはひとつのコンテクスト、文脈、リズムがあって、
2人からの発言を制限するとともに、それぞれが考えていた以上の発言を引き出します。
2つのシステムが新しいシステムを生み出し、
その第3のシステムが、元のシステムに影響を与える。

自分や相手だけじゃなく、会話にも魂があって、会話自体と対話することで、
自分を変容させることができる。
そういう意味では、会話にも魂があると思います。

さらにいうと、モノや夢、言葉にも。

例えば、絵を描くのでも、自分が世界を写し取っているのでなく、
自分と世界が対話する中で、絵という新しいシステムを生み出している。
世界と対話しながら、絵は描かれ、
描く過程自体が、自分の描き方を規定し(ここをこう描いたら、次はこう描こうと思うこと等)
そして、規定するだけじゃなく、自分の心の奥を変容させて、
具体的な形として心の外に導き出す。

夢もそう。
自分と世界との対話を、映像として物語った新しいシステムが夢。
そして、夢と向き合う中で自分を変容させていこうとするのが、
ユング派の心理療法のひとつだそうです。(自分の解釈だと)

言葉も。
名前なんてその際たるもの。
名前をつける中で、作者が名前をつける対象についてあれこれ考え、
思いを込めるその過程自体が名前の魂。
そして、そういう名前は、その名前を呼んだ人の心に何かを喚起する力を持っている。
言霊。

2つ魂の間にモクモクって出てくる第3の魂。
その第3の魂の力を、もう少し信じてみるのもありかもと思う。
というか、昔の人は自然にやっていたことなのに。
なぜ、忘れてしまったのだろう。

いまさら昔には戻れないけど、そういう第3の魂を
今風のやり方で、目の前に現すことはできるのかもしれない。
科学という方法で魂を受肉させるシャーマンがいてもいいのかも。
(オカルトの研究をするという意味ではなく、人間以外のシステム・魂の意味や、
人間が絶対と思っていることの曖昧さをを考えさせるような研究ということ)
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# by w_junji | 2006-05-23 01:06 | 自己紹介の代わり

THE END OF PLAIN PLANE -さよなら退屈な飛行機-

カナダ、モントリオールから帰ってきました。
13時間以上の飛行でくたくたです。
飛行機ついでに思い出したのですが、

Q ブラニフ航空という航空会社を知っていますか?(3択)

A:スターアライアンスメンバーの中東の小さな航空会社
B:Mr.Braniffさんの自家用ジェットのこと
C:60年代のファッション・アート・デザインのトレンドを乗せた航空会社及びその活動

http://www.braniffinternational.org/
http://www.braniff-expo.com/


-----ブラニフエクスポ/パンフレットより-------
「THE END OF PLAIN PLANE さよなら退屈な飛行機」このキャッチフレーズのもと、
アレキサンダー・ジラルド、エミリオ・プッチ、アレキサンダー・カルダーたちの
クリエイティブが集結した伝説のエアラインがアメリカにありました。
当時アメリカで唯一のコンコルドを所有し、世界初のペイント飛行機を飛ばし
ジェット族と呼ばれる新しい世代を作り上げることになった航空会社
=それがブラニフ航空です。

はい。正解はCです。
(残念ながら、この航空会社は1982年に就航を停止しました。)

2004年9月、その展覧会を渋谷パルコでやってて、偶然、展覧会に足を運びました。
そのとき、なんだか、胸をわくわくさせて、見ていたことを覚えています。

「あら、こういう空の旅って素敵じゃないかしら?」っていう空気が、
飛行機のペイント、アテンダントの制服、椅子、あらゆるところから感じられて
今見ても、すごいかっこいい。というか、今よりかっこいい。

あれだけ、内装や外装、デザインに金をかけてたら
そりゃ、採算は取れてなかったと思う。
でも、こういう活動ってAlternativeの提案っていうか、
Quality of Lifeのためのピエロなんだとおもう。
「そういうのもありなんだ」っていう。

人の生って元来、なんでもあり。どう生きてもいいはず。

フレームの中で期待されることを、期待された範囲でやって
二重丸もらって、はい、おしまいじゃ、つまんない。
日常のフレームのちょっと外に、人の心を揺さぶる何かは落ちている。

こういう活動がそのフレームの外を垣間見せてくれたり、
そのパンフレットだったり、ステッカーは
非日常を日常に持ち帰るちょっとした仕掛けであったりする。

自分のやってることも、こんな風に映ったらいいなぁ。と思う。
ピエロでいいと思う。今なら、笑ってピエロになれる。
何かのために自分の個人的な欲や恥を捨てて、かつ楽しく活動できたら。

ぼくの話を聞いて、
「あら、そんな体験も素敵かも?」
「あなたはそんな風に世界が見えるんだ、こんな世界もあるんだ。」
って少しでも思ってもらえたらさいわいです。
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# by w_junji | 2006-04-30 05:42

【展示・講演のお知らせ~】

このたび、GW、5月3日~7日に
自分の展示を含め、工学と芸術に関する研究展示会が
日本科学未来館(東京お台場)で行われます。
体験型の展示が多く子供から大人まで楽しめる内容になっています。

○展示:予感研究所 アート+テクノロジー+エンターテイメント=?!
325人の研究者たちの予感
http://www.miraikan.jst.go.jp/j/event/2006/0507_other_01.html

また、5月4日に同じく未来館で、自分の研究に関する講演を行います。
(どなたでも聴講可能です。)
よろしかったら、お誘いあわせの上、お越しください!

○講演:情報処理学会 エンタテインメントコンピューティング研究会 第4回研究会

日時: 2006年5月3日(水)4日(木)13:00~
会場:日本科学未来館(東京お台場)7FみらいCANホール
二日目 5月4日[13:00~17:00]

【招待講演】
[13:00~14:15]
「ベンディング・カルチャー」 久保田晃弘(多摩美術大)

[14:15~15:00]
「知覚体験を拡大させるインタフェース・芸術表現」 渡邊淳司(JST / NTT)

[15:15~16:00]
都市の経験を情報科学する -風景・地形・歩行- 田中浩也(慶大)

[16:00~16:50] 【パネルディスカッション】 アート×エンジニアリング×社会
モデレータ:チェン・ドミニク(東大 /NTT  ICC)
パネリスト:久保田晃弘,渡邊淳司,田中浩也
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# by w_junji | 2006-04-22 20:07

成分解析やりました。

http://seibun.nosv.org/

99%はやらしさで出来ています
 1%は濃硫酸で出来ています

ほとんどやらしさですか。

さいきんは、「欲を捨てて楽をみつけよう」を合言葉に生きてきたつもりですが
あまり、成分には反映されてないようです。

「欲を捨てて楽をみつけよう」とは、
自分はこれがしたい!とか、自分が満たされるために何かを望んで、
それで苦しくなって、他人にやさしくなれなくなるより、
自分がやって楽しいと思えること、日常の中のちょっとした機微をみつけて楽しみたい。
ということ。

日常は非日常の積み重ね。
何も変わらないようで、同じことなどひとつもない。

いつもどこかに。日常の1%は濃硫酸。
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# by w_junji | 2006-04-14 02:30