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Techtile展ワークショップのお知らせ

Techtile展2009でワークショップをさせていただきます。

触感表現ワークショップ1 :「文章の触りごこち」

丸谷和史+渡邊淳司+PINTO

2/27(sat) 15:00 - 18:00,
2/28(sun) 11:00 - 12:30,13:00 - 14:30

一見時間長いですが、一人あたりおよそ30分~1時間で
途中参加、途中退場 可です。

「なお、ワークショップ参加人数には限りがあるため、
 参加ご希望の方は事前に info@techtile.orgに
 希望ワークショップ名・希望時間・お名前をご連絡ください。」

とのことですが、WS時間は随時参加可能ですので、
多分、ふと、来ていただいても参加可能だと思います。
それか、自分に直接連絡いただいても大丈夫のような気もしてきました。
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by w_junji | 2010-02-23 00:03

熱帯夜

私は、仕事中つけっぱなしにしておく習慣のCD

-きょうはリッキー・リー・ジョーンズを聴いていた- を切り、

秋美の鞄を眺める。

家の中に秋美のいる時間が、私はほんとうに好きだ。

彼女が仕事になど行かなければいいのに、と思う。

お風呂場から、威勢のいい水音が聞こえている。



江国香織 「熱帯夜」 『号泣する準備はできていた』 より


ここ数日、好きな文章を書き出す作業をしていました。

いつ読んでも、江国さんは、すごいなぁ。とおもう。
(さん付けですが、知り合いでも何でもありません。)

読んでるだけで、心がマッサージされる。

そして、好きな文章のルールのようなものを発見する。

自分の好きな文章は、

「主人公の行動」
「主人公の気持ち」
「情景(好きな対象もしくは環境)の描写」

と続くことが多い。

そんなことで、江国さんの魔法は何も変わるものじゃないけれど、

少しだけ、ヒミツがわかるのはうれしい。

そして、いつか、研究にならないだろうか。インタビューしてみたいな。


それと、今日、聞いたシンポジウムで、

社会学者のような人が

「人間は意識の制約に縛られている」といっていた。

いつまでたっても、自分のことはわからないと。

でも、そんなこといったら、人間は、言語文法にも、知覚にも、身体にも縛られている。

縛られているものだらけ。

こないだの本(言語表現法講義)にも書いてありましたが、

それを捨てることができないのだったら、

むしろ、その制約をよく知り、使いこなすことが、そこから自由になることだと。

日本語で考えている限り、日本語の文法に縛られる。

もちろん、文法に縛られている自分を意識することは重要ですが

でも、それ以上に、自分で日本語を使いこなし、自分なりに変容させることができないと、

日本語に縛られたまま。

文章を書くプロがそうであるように、

文法という縛りのなかに、文と文のあいだのなかに、

読み手の思いをどれだけ呼び起こすことができるかということが、

文法から自由になるということなのでしょうか。



オススメの展覧会

東京オペラシティ アートギャラリー
「エレメント 構造デザイナー セシル・バルモンドの世界」
http://www.operacity.jp/ag/exh/index_exh.php

東京都現代美術館
「MOTアニュアル2010 装飾展」
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/111/1
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by w_junji | 2010-02-21 02:00

沈黙と法

正論を言えば、解決するわけじゃないのはわかっているけれど、

ただ、何も言わず、沈黙によってやり過ごす。

それも、できない。

だとするならば、私は、そこから去ることを選んでしまう。


本音、いいたいこと、やりたいこと、それを面と向かって、言い合うあいだは

何かを伝えあうというのは本当は無理なんじゃないだろうか。

ドロドロとした、自分の問題を他人に解決して欲しいという欲望は、相手を思考停止させる。


伝えることが意味をもつのは、おそらく、同じ方向を向いている人とだけ。

ただあるのは、その世界の見方が、すきか、きらいか。


およそ、世界にあるのは、

特定個人の見解ではなく、すでにあるものを見つけなおしたもの。

誰かの意見ではなく、誰のものでもないルール。


Law of world を見つけていくことが、自分にとっては Joy of life。

そして、それが最終的にどうなっても受け入れる、軽やかさ、潔さ。
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by w_junji | 2010-02-16 19:30

言語表現法講義

最近、読んでいる本に、こんな美の定義がありました。

「美とは、客観的に基準が存在するわけではないが、
 一人一人、誰もがそう感じるはずだ、という 他者に開かれた確信」である。

 『言語表現法講義』(加藤典洋 著)

自分が美しく感じ、他人もそう感じるはずだというものを、自分の最善を尽くして、提示すること。

自分の確信を鍛えることと、それに沿うようにうまく伝えること。
の両方が必要とされる。

だけど、多分、人にモノを見せるとき、
自分が見せたいと思っている感情は、殆ど入れないくらいがちょうどいい。

人がモノを考え、つくる限り、自分というものは否が応でも入り込むので、
自分というフィルタを通るだけで、十分、自分のにおいがする。
それ以上、自分の混入したものは、自分臭すぎる。

モノを見せるときに、その繊細さ、気遣いある大胆さ、は必要だけど、自我なんて殆どいらない。
むしろ、それ自体に、自我がないからこそ、見てる側は入り込める。
見る側の、「依りシロ」として、モノが存在する。

自分の好きなダンサーや、シンガーは、ほとんど、巫女のようで、
彼女たちの身体は、見てる側の感情の依りシロとなる。

そのとき、自分の思いや血肉が彼女たちに流れ込むような無防備さ、ある種の快感がある。
なんだか、自分がここに生きている意味すら、どうでも良いと思ってしまう。

自分はひとりじゃない。
というか、ひとりひとりと分けて考え、
自分を認めてもらおうと、自我を出すことの滑稽さにあせる。
そこにあるのは、ただ、他者の依りシロたる自分。受け入れあうだけ。

「自分が、自分が」と言い合うまえに、
ただ、与えられた時間のうちに、今できることをやり続けるしかないと思うのです。



すこし、お知らせ。
以下、3月までの展示です。

10月6日(2009年)~3月1日(2010年)
日本科学未来館 3Fメディアラボ 「感覚回路採集図鑑」
安藤英由樹 // 渡邊淳司

2月2日~3月22日
東京都現代美術館 サイバーアーツジャパン─アルスエレクトロニカの30年
「blink to see __」 渡邊淳司+田畑哲稔+安藤英由樹
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by w_junji | 2010-02-15 01:04