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しなやかであるために

「自分に何が足りない」かではなく、「自分に何が必要か」と考えること。

欲望を「消費」するのではなく、それを「認め伝える」こと。

身の丈の欲望と、シンプルだけど必要なもののある生活。

自分の意思で自分を慈しむことが、他者を愛する第一歩。

気の進まないことはやらない。最終的に自分を苦しめるのは自分。

やることは、丁寧に、思いを込めて。

世界の一部である感覚。世界が自分の家だと思ったら、世界中のものが愛しく見えてくる。
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by w_junji | 2007-01-24 01:10 | 自己紹介の代わり

春秋1月号 寄稿

春秋社の月刊情報誌『春秋』1月号に寄稿しました。

全国有名書店にて手に入りますが、
(本屋の店員さんには春秋社が出している無料PR誌というとわかります)
自分がいくつか回ったところ、既になくなっているところも多かったので、
手に入れるのはけっこう大変かもしれません。

なので、欲しい方は
自分宛(MIXIもしくはw_junji@hotmail.com)に郵送先を教えてもらえば、郵送いたします。

●特集:ベンディング・カルチャー

○改造の文化 久保田晃弘(多摩美術大学・教授)

○「知覚」のベンディング 渡邊淳司(科学技術振興機構/NTT)

○「環境」のベンディング 田中浩也(慶応大学・講師)

○「社会」のベンディング ドミニク・チェン(東京大学/ICC)


また、4人が昨年の5月に日本科学未来館で講演したときの様子が以下で見られます。
http://www.sigae.org/archives/art/
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by w_junji | 2007-01-08 03:18

1月20日(土)関連舞台のお知らせ

横浜ダンスコレクションR<受賞者公演>  

2007年1月20日(土)19:00開演(18:30開場) 
会場:ランドマークホール
料金:前売 一般3,500円(当日4,000円)
学生2,500円(当日3,000円)

2006年 横浜Solo×Duo<Competition>+にて各賞を受賞した振付家、
【ソロ×デュオ部門 審査員賞】の3作品を同時上演

杏奈 「B's~ワタシダッテアイサレタイ~」
川口ゆい 「REM – The Black Cat」
浜口彩子 「無敵」


川口ゆい上演作品 
”REM - The Black Cat” 

エドガー・アラン・ポーの短編小説“黒猫”をモチーフにしたソロメディアダンスパォーマンス。
疾走感のあるダンスと、cellの映像による緻密な空間演出、そして観客一人ひとりが違う瞬間に見る ”情報 ― 幻”を生み出す LED saccade-based displayを身体に縛り付けた“処刑台”による激しいラストシーンが、 メディアに溺れた大都市に暮らす人間の混乱と孤独を描き出す。 2006年ベルリンのタンツターゲフェスティバルで上演され、地元紙で”クレイジーで、ストレンジで、素晴らしい!” と絶賛された本作品完全版の日本上演となる。

<作品ノート>
妻殺しの罪で絞首刑となった“男”…
情報化され、永遠にモニターの中に漂い続ける“殺された妻”。
男の魂は無名の肉体に生まれ変わり、 情報という過去の残滓に溺れた世界で生きる。
いびつな空間から再び彼を脅かす、“黒猫”の幻。
心は解放を求めて、再び肉体を処刑台へと送るのだろうか…

川口ゆい:構成・振付・出演
マリア・アドリアナ(66b):VIDEO出演(殺された妻)
cell:映像
渡邊淳司:LED saccade-based display
ファビアン・ブライシュ:照明・装置
Justine+ARAMAT(Paris/Berlin):衣装
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by w_junji | 2007-01-02 02:46

踊るように、演じるように。

家族を含め、誰かと生きるというのは

「一緒に滑らかなダンスをするのといっしょで、
お互いの行為が受け入れられるように自分の行為を調和させること」

相手の動きを感じ、それにあわせて自分の動きを調整すること。

一緒にいたいということのためなら、いかようなものでも調和させる。
かける言葉だったり、表情だったり、感情そのものですら。

心があってそれを伝えるというよりも、
行為を調和させていくなかで、二人のあいだに心ができてくるような感覚なのかも。

そして、ここには、物語を演じている役者の私と演出家の私の、2人の私がいる。

演出家の私からみると、役者の私の少し先の未来を演出している。
だから、役者は演出家にとっての過去を実感しながら生きることになる。
そうすると、矛盾かもしれませんが、現在は必然の過去になるの。
そうすれば、迷いもなくなる。


こんなことを書いている私は、
なんだか、お屠蘇の飲みすぎでしょうか。
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by w_junji | 2007-01-02 01:09 | 自己紹介の代わり

いまさら2006年のこと

年末まで中国に行っていたので、一年を振り返るということをせず、
年も明けてしまい、なんとも風情がありませんが、
なんだか、パスポートのはんこが増えたなぁ。
と思い数えてみたら、なんと12回も海外に行っていました。

4月ソウル、カナダ
6月ロサンゼルス、ロンドン
7月パリ、ブリズベン、ボストン
8月サンクトペテルブルグ
9月ロンドン
10月アトランタ、バンコク
12月中国・マカオ

「いろんな世界が見られていいねぇ。」
といわれます。

はい。見てきました。

昔、いろんな世界が見てみたい。
そうすれば、今までの自分とは違った自分になれる。
そんなことを思っていた時がありました。

確かに、私がそこにいて、それを感じている瞬間は
何か違ったものになっているのかも知れません。

でも、当たり前だけど、体験とは、
永遠に、自分の何かを変えてくれるものではない。
自分の未来に何かを約束してくれるものでもない。

ただ、体験は、感じ方や行為のレパートリーを増やしてくれる。

体験て、今目の前にある世界をありのまま感じ、ひっ捕まえて、即座に反応すること。
世界とダンスを踊るように、目の前に起きていることの呼吸を感じ、
それにあわせて、身体を動かし行動すること。
言葉で記述してたら間に合わない。

それは、私の身体と共に、そこでおきた。
そして、それは、言葉でなく、私の身体に刻み込まれている。
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by w_junji | 2007-01-02 00:55

客家の血

客家(ハッカ、北京語 : Kèjiā /客家語 : Hakka)は、
中国の南部に住む漢民族のエスニック集団である。
唐から元のころに華北から移住してきた人々の子孫であると伝承されている。
・・・
移民の通例として土地の所有が困難であったために流通や商業に従事することが多く、
師弟の教育にも熱心なことで知られる。
商業のほかには教育の高さから教職につくことが多い。
これらの特色から「中国のユダヤ人」などと呼ばれることもある。
(Wikipedia)

新年のご挨拶の前に。
昨年末(12月31日まで)、中国の珠海という香港の近くの都市に行ってきました。

そこで感じた、客家の血について。

その街に住む日本人の友人が
「客家の人と日本人は、感覚的に通じるものがある」と力説していました。
客家とは、上にあるような出自を持つ人のことですが、
彼の会社の幹部の多く、さらには奥さんまで客家だそうです。

ぼくもその話を聞いたときは、
「ふーん。そんなものもあるのですか。」程度に聞いていました。

だけど、実際、
ぼくが、珠海の街で中国人の人と触れ合うなかで、
「この人のことをもっと知りたい!」と思った数人の人、全てが客家でした。
(驚いたことに、日本にいる華人の友人にも当てはまりました)
客家の人口に対する比率など僅かなものなのに。。。

客家のインスピレーションが、ぼくの何かと引き合っているのは確かみたい。

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by w_junji | 2007-01-02 00:02