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「本気」=「ある程度やった気」

「ぼく、今、本気で英語を勉強しています!」

ああ、なんと嘘臭い言葉!

「ロンドンに来たのだから、英語をしゃべれるようになろう。」
なんて思って、
こっちで英会話に通ったり、英語の本を音読したり、いろいろやってみた。
でも、なんとなくうまくいかない。英語が聞こえない。
こっちに来てまだ短いというのもあるのだけど、イマイチしっくりこない。

英語の短期記憶を鍛えるにはどうすればいいのだろうとか、
いろいろ「本気」で考えてみた。

でも、人が意識して、本気になるなんてありえない。
本当に心から、何かをしたいとか、何かになりたいと思っていたら、
もっと自然に心が、身体が動いているはず。

自分がそれをしているとき、それができたときのことを想像し、
そのために自然に身体が動く。

あーだこーだ、いろいろ頭で悩んで、これをこうしようとか言っている場合じゃないよ。
本気ってもっと自然だし、無意識的なもの。

例えば、英語を聞くんだったら、ごちゃごちゃ考えるんじゃなくて、
(もちろん文法とかは前もって勉強しないといけないけど)
心を開いて、身体全体で、ニューロンの全てで、相手の話を聞こうとする。

人に気持ちを伝えたいんだったら、
言葉一つ一つのタイミング、イントネーション、大きさ、
全てを気持ちを伝えるために変化させる。
(本当に気持ちを伝えたいと思ったら自然に変化してしまう)

たったそれだけ。
あたまで考えるんじゃなくて、心、身体全てでそれをしようとする。

本気って、無意識だから。
意識的に本気になってやっていることなんて、
本当にやりたいと思っている人が無意識にやっていることに比べたら大したことない。

自分が本気で何かをしていると思ったら要注意。
そんな気になった自分に酔っているだけ。
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by w_junji | 2005-06-26 22:42

足りないもの

ロンドンは、たまに息苦しさを感じる日本とは何かが違っているなぁ。
と思いながら過ごして、はや2週間。

仕事も7時にはみんな帰ってしまうし、金曜日なんて午後からビール飲みだす始末。
確かに日本と違っている。でも、それだけじゃない気がする。

そういう話をロンドンに住んでいる日本人の人としていたら、
その人は、「一言でいうと、愛が足りないの」。
と言っていました。
なるほど。。。
そのとおりかも。

こちらの人って、言葉でも、人種でも、階級でも、違ってるのが当たり前。
でも、日本みたいに、その違いを変に意識せず自然に受け入れて
その人なりの人生の楽しみ方をしている。

わたしとあなたは違うけれど、
わたしはわたしであることを受け入れ、愛します。
あなたがあなたであることも受け入れ、愛します。

そんな感じがします。

日本て、なんとなく、一見、同じような人の集まり。
(日本人という人種、黄色い肌、同じような名前。)
もともと、人なんて違って当たり前なのに、なんとなく同じような気になってしまう。
人種が同じで、同じ言葉をしゃべったとしても、心や価値観が通じ合えるかは別の話だし。
そして、なんとなく、平等のような感じで、
「がんばれば、今よりいい人生が待っている。」
みたいな幻想があって、常に満たされない空気がある。

もちろん、現在の自分をより向上させようという意思は大事だと思う。
だけど、それと同時に自分自身、そして他人を受け入れ、愛することも同じくらい大事。

日本で周りにいる友人達がそうだといってるんじゃなくて、
今思うと、なんとなく、社会全体がそんな感じがしていたのかも。
個人個人が愛にあふれていたとしても、
社会全体に愛が足りなくて、
暗闇のところどころで、かがり火がともされているイメージ。
こちらは、社会全体の中に
ほんのりとした暖かな明るさの空気が、ゆるく流れているかんじかな。

それぞれの個人、街、文化をみると、
東京のほうが良いものってたくさんある。
日本のご飯や文化、伝統はかけがえがなく素晴らしいと思う。
でも、大事な何かが足りてない気がするのも事実。
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by w_junji | 2005-06-26 22:08 | 自己紹介の代わり

They had no choice.

動物と一緒に暮らしている人たちを見ていると、
それは子供を育てるのと同じくらい大変で、喜びのあることなのだと思います。

シアワセに育てられている彼らを見ていると、彼らの純粋さに自分が恥ずかしくなる。

命を預かることはすごく覚悟のいること。
でも、ときおり、何も考えず命を預かってしまうケースもあるようです。
そういうのを聞くと、すごく嫌な気分になります。
悲しいかな、殆どの場合、誰に育てられるか、彼らに選択権はありません。

さらにいうなら、
アーティストは表現のためなら何をしてもよいわけじゃない。
科学者は学問のためなら何をしてもよいわけじゃない。

命あるものを犠牲にしていいほど、あなた方の思いは崇高なものなのですか?

自分も科学者のくせに何を言ってるのか、
何に苛立っているいるのか、自分でもよくわからないところがあるのですが。
こんな思いになったのはこの作品(下)を見たから。。。
嫌な気分。

SAATCH Gallery in London
http://www.saatchi-gallery.co.uk/artists/nitsch.htm
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by w_junji | 2005-06-22 02:14

Londonにきてます。

今さらですが、現在ロンドンにいます。
到着してから一週間ほどたちました。

ヨーロッパの街は歩いて回れるのが素敵です。
どこへ向かうのでなく、ぼーっと散歩するのが好き。
空を見たり、人を見たり、本を探したり。

こっちの人はだいたい7時には仕事を終えて帰ってしまいます。
自分の生活を大事にしてるともいえるし、仕事にそこまでこだわりが無いというか。
もうちょっと、ちゃんとやりましょうよ。
(やるときはやるんでしょうけど。)

でも、日曜日にハイドパークで
フリスビーやバレーボールをしている家族連れ、若者のグループは
あっけないほど自然に、自分の生活を楽しんでいて、
それをみてたら、
このままでいいんだ、この人たちは。とも思いました。

左:ゲイショップのディスプレイ
右:ハイドパークのSpeakersCorner
(日曜日にはそこらへんのおじさんたちが演説してます)
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by w_junji | 2005-06-21 21:01

自分にぴったりの石

「自分にぴったりの石を見つけて、それを好きな人にプレゼントするの。」

どこで聞いた話か忘れてしまったけれど、
そんな風に気持ちを伝えられたら、素敵だな。

そんなわけで、自分にぴったりの石を探しに行きました。

一緒に行った人の何人かは筋金入りの石好き。
帰りにはビニール袋が破れるくらい拾っていました。
部屋にはいったいいくつ石があるのだろう。

じ:「どんな石を探しているの?」
友:「きれいなのとか。でも、一番大事なのは、石の声をちゃんと聞くこと。」
じ:「石の声って?」
友:「見ていると聞こえてくるの。」
じ:「そっか。。。」

石の声が聞こえない自分にちょっとがっかりしつつも、
自分の使命を果たそうと川原をぼーっと歩きました。

めぼしい石をいくつか見つけました。(写真左)
なんとなく自分ぽい気がします。
上の石のちょっとひねくれて暗い感じとか、右の石のドライな感じ。
左の石は安定感があって、素直。そんな感じになりたいという希望も入ってます。

そのうち飽きてきたので、石を川に投げ入れると、なんてきれいな水しぶき。(写真右)
やっぱり水は好きかも。

ところで、不思議に思ったことがあるのです。
「自分ぽい石って、いったいどんな石?」
何で石に人間らしさを感じられるのだろう?

一方で、世の中には、自分以外の他人がまったく人っぽく感じられない人もいるのに。
(そういう人にとって、他人はロボットのように意思のない機械に思えてしまい、
 他人とコミュニケーションがちゃんとできなくなってしまう、一種の病気があるそうです。)

人間らしさってなんなのかな。

自分で自分らしさを理解してはじめて、自分にぴったりの石が見つけられる。
その石を渡せるのはいつの日だろう。
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by w_junji | 2005-06-03 21:15