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消費される私

今日、友達と話をしていて「情報を消費する」って言葉が出てきました。

情報学の先生もそんな言い方をしてたけど、正直あんまり、ピンとこない。

何らかの情報や生活スタイル、思想を外部から受け入れ、解釈するものの
自分の中では根付かず、ひと時の流行のように消えていくことを
「情報を消費する」というのでしょうか。

明確な個性や信念なく集められたものが、自分に根付かないのはある意味、当然。
逆に、個性や信念があれば、情報を取捨選択する指針になるし、
情報があふれている社会だったら、そういうものを持っていた方が生きやすい。

自分も、そういう指針を求めてしまうのだけど、
一方で、そういうものって本当にないといけないのかな?
なんて思う自分もいます。

情報を消費しまくって、それに翻弄され続けるのも一つの生き方だし、
翻弄された中にいても、情報を消費し続ける体力さえあれば、
翻弄されていることに自分自身が気付かず、そのほうがシアワセな人もいる。
下手に消費することの意義なんて考えてしまうから、辛く、苦しくなってしまう人もいる。

誰もが、自分の道を歩き、自分のために情報を「消化」できるわけじゃない。
(解釈した情報が自分の中で根付いていくことを消化と表記しています)
売り上げを上げるために、ひたすら、飲んで吐くことを続けるホステスのおねえさんみたいに、
生きている充実感のようなものを得るため、情報を消費し続ける人もいる。

そういうことを確信犯でやっている人もいるし、べつにそれはそれでいいと思う。

そして、最近思うのですが、
情報だけじゃなくてコミュニケーションも消費されるのだな、と。
以前は、自分とのコミュニケーション、出会いは相手に「消化」して欲しい。と願っていました。
自分がこの人と会い、話し、笑い、悲しんだことが
相手にとって多少なりとも、意義があり、身体に根付くものであって欲しい。

でも、それを相手に期待する権利なんて自分にはないんですよね。

ブランド物で身を固めた若い娘が、ブランドを消費して、
その瞬間にはある種の満足感を得ているように、
出会いやコミュニケーションも、消化はされなかったとしても、
消費されることでその瞬間は何らかのエネルギーを生み出していると思う。
(ある種の充実感のために出会いを消費し続ける人もいるけど。)

だから、自分との出会いやコミュニケーションが消費されるだけでもかまわない。

もちろん、消化されれば喜ばしいことで、そのために努力はするけれど、
消化されるかどうかは相手が決めること。
消費され、その瞬間に大きなエネルギーを生み出せれば、それだけでも素晴らしいこと。
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by w_junji | 2005-02-22 05:06 | 自己紹介の代わり

モホイ・ナジ

モホイ・ナジは20世紀初頭に活躍したハンガリーの芸術家。
メディアアートの先駆者とも言われています。
彼は芸術家の役目を以下のように定義しています。

「同時代人の精神的な生に方向付けとともに構造や洗練を与えていくこと。
 生物学的機能の未知の領域に入り込み、工業社会の新しい次元を探り、
 新しい発見物を情緒的な定位に翻訳すること。」
 (井口寿乃 「ハンガリー・アヴァンギャルド」より改編)

人を知ること(心理学)。社会を知ること(社会学)。物質を知ること(物理学)。
人間の心に共通の性質、社会の共通原理、物体の物理法則がわかったとして、
そこでわかった事実を我々一人一人の人間、一人の個人としてはどう解釈すればよいのか?
それらによって私、自分自身の生はどう変化するのか?

新たな解釈によってその精神的な意味付けをし、精神的な生を豊かにするのが芸術だと。
(それらに基づいて人間の物質的な生を豊かにするのは工学。)

結局、どんな学問も、人間の生を活性化させ、満足させるために存在する。

そして、モホリ・ナジは
人間は自己を取り巻く環境をどう解釈するかということに興味を持っていました。
自分は彼のその姿勢に何より共感を覚えます。

人間は環境を観察しているのではなく、「解釈」している。
物理世界は知覚世界とはまったく別もの。
物理世界は知覚世界を生じさせるトリガーでしかない。
物理世界は知覚世界を生じさせるけど、
もしかしたら物理世界がなくても知覚世界は生じ得るかもしれない。

自分のやっている認知科学はその物理世界と知覚世界の断絶を明らかにしてくれる。
一般的な意味で。
なぜ、「一般的な」というかというと、
科学という学問が、人間という生物全体の共通性質として、
物理世界をどういうふうに知覚世界として解釈しているかを明らかにすることが目的だから。

では、それはどう、個人の生に関係付けられるのか?

自分はまだ、はっきりとした答えをだすことはできません。。。

ただ、自分が解釈していることを認識することの大事さ。
つまりは、自分のフレームワークの存在を意識し、その性質を知ること。
そして、一人一人が解釈している世界の多様さ、貴重さ、かけがえのなさを意識することは
個人個人の生の活性化へつながるのではという気がしています。

人の一般性質を知りたいという興味。
そして、得られた新たな事実を、自分なりの視点から、個人個人の心に対して意味づける。
人の心の生が活性化し、満足する方向に向けて。
両方やりたいと思う自分は欲張りなのかな。
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by w_junji | 2005-02-17 02:51 | 自己紹介の代わり

一期一会独座観念

 「客が露地を出る時、亭主はその姿の見えなくなるまで見送る。
  障子等早々としめることはよくない。姿が見えなくなって、心静かに茶席に戻り、
  炉座に独座し、今頃は何方まで参られたであろうかと思い、
  今日の一期一会が再び帰らぬことを観念して静かに独服する。
  この時周囲は寂寞として打ち語らうものはただ釜一口のみ」

江戸時代末期の大老、井伊直弼が書いた茶の湯の本の中の言葉だそうです。

素敵な時間をすごした後、
その大切さ、かけがえのなさを寂しく思うとともに、
その相手を、その体験を心に思うときの魂の強い結びつき。
いいなぁ。と思います。

こういう感じって、
旅先で誰かと出会ってすごくいい体験をして、
その別れを寂しく思う感じとはちょっと違うのです。

相手のことを思い、誠心誠意準備して、
相手と本当に濃い時間をすごした後の感じです。

何が違うかはうまくいえないのですが、
相手と別れた後の思いの深さが違う気がします。

旅での出会いのような非現実さだけじゃなくて、
最初から相手のことを思って過ごした濃い時間は、
生々しさと非現実さが同居していて、
一人そのことを思うとき、その思いは確実に自分の身体にあることを認識できます。

そして、何かへの魂の結びつき、信頼を感じます。
ただ、それは何に対しての結びつきなんでしょう?

その体験を共有した相手に?
その体験を与えてくれた世界に?

どちらでもあり、どちらでもない気もします。
しいて言うなら、
その世界のなかで、その相手と織り成された物語への結びつき。

その物語は自分だけのものかもしれない。
でも、そこで、その人といなければ起こりえなかった物語。

その物語への結びつきは、自分が生きるときの見えないチカラになっている気がします。
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by w_junji | 2005-02-14 02:27 | 自己紹介の代わり

そういえば、

2月15日(火曜日)15時から自分の博士審査があります。
公開なのでお時間のある方はぜひ、ご観覧ください。
コメント等にご連絡いただければ、詳細お送りいたします。

また、現在、東京都写真美術館(Global Media2005展)で
自分の作品展示(?)をしています。(作品紹介ビデオが流れているだけですが。)
こちらもよろしかったら。
http://www.syabi.com/
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by w_junji | 2005-02-13 00:51

小さな箱の中身

先日、友達の素敵な誕生日会に参加させていただきました。

たんたんと生活していた最近にしては珍しく、夜中まで遊んでしまいました。
(しかし、次の日は屍に。。。)

やるべきことをきちんとこなし、毎日家に帰って自分の布団で寝る。
そんな生活って、それはそれで充実しています。

前は、毎日、新たな出会い、新たなイベントが起きて、刺激を受けまくる生活だったけど、
物理的に新しいことがなくても、自分が変わり続ければ、日常は常に非日常。

そして、
過去は自分の中で形を変えて生き続け、自分にチカラを与えてくれている。
自分の小さな箱にしまった、きれいな思い出たち。
そういうものが、自分が生きている世界を信じるチカラになっている。
過去の素敵な体験が今の自分を作ってくれている。
そして、それを人と共有できたことが何よりうれしい。

たんたんと生きることは、アンテナをたたむことじゃない。
大事な出会い、大事な瞬間がノイズに埋もれないように、アンテナを磨くこと。
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by w_junji | 2005-02-13 00:47

シアワセです。

褒めてもらうほど自分の空虚さが浮き彫りになる。

行き先がわからず迷走する自分。
自分で流れが作れず、人の流れに乗るしかない自分。
弱い自分、怠惰な自分。役に立たない自分。

そんな自分かもしれないけど、シアワセかも。とも思います。

少なくとも、自分のことを評価し、必要としてくれる人がいるのなら。
それだけでシアワセ。

ダメでも、シアワセなら次の一歩を踏み出せる。
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by w_junji | 2005-02-09 03:16

あなたは何がおもしろいの?

「あなたは、何をおもしろいと思ってその研究(仕事)をやってるの?」

そう聞かれたら、すらすらと言葉が出てきますか?

これはこんなことに役立つし、世の中がこんなに便利になるから。。。
この研究は脳機能の解明に役立って。。。

ダメです。答えになってません。
「なんで、その研究をやっているの?」
と言われたら、それでもいいのかもしれませんが、
聞いているのは 「あなたは」 です。

自分はこういうことが好きで、ここがおもしろいと思っている。
普段から、こういうことを疑問に思っていて、これはそれにつながると思っている。

みたいに、ちゃんと言葉にするのってけっこうむずかしい。
自分のことをちゃんと知らないといけないし、
やっていることの本質を理解しないといけない。

世の中には、そんなこと聞かれなくても、
その研究をするために生まれてきたような人、
「何がおもしろいの?」なんて聞くのが馬鹿らしくなってしまうほど
やっていることを愛し、おもしろがっている人っていますよね。
そういう人は、無意識に自分が何をおもしろいと思うかを知っているし、
何も考えずに、おもしろいことに向かって行動できるんでしょう。

でも、そんな人ばかりじゃなくて、おそらく多くの人は
うまくいかなくてくじけそうになったり、
ほんとにこれでよかったのだろうか?と思ったりするじゃないですか。
(ぼくはそういう人なので。。。勝手な推測だったらゴメンナサイ)
そんなとき、ちゃんと言葉にできると、それは、自分を信じるチカラになる。
言葉にしようとすることは、自分の本質を、やっていることの本質を知る手がかりになる。

そんな気がします。

同じように、言葉にしなくても伝わるんだろうけど、
「あなたは、この人のどこが好きなんですか?どういう点が必要なんですか?」
って問いにきちんと自分の言葉で答えられることは、人を愛するチカラになる。
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by w_junji | 2005-02-05 01:54 | 自己紹介の代わり

最近好きなもの

見逃してね

「うふふ。」という言葉。
相手を受け入れる寛容さがあって、かわいらしくやさしい響きのある言葉。
絶妙なタイミングでこの言葉をメールに入れてくる人がいて、脱帽です。
男の僕はなかなか使えないので心の中だけで使っています。
ちょっとイライラしているときや、何か腹立たしいことがあっても
とりあえず、心の中でこの言葉を唱えます。
あら不思議、なんとなく寛容に相手を受け止められる。
(TB先を読んでびっくり。シンクロだ。)

「ジャパ、ジャパ」と手で水を切る音。
特に温泉に入っているときに手を思いっきり伸ばして水を切ったときが気持ちいい。

「青い背景にくすんだ茶色」
ていうか、枯れた枝が澄んだ青空に映ってきれい。

お風呂、温泉が大好きです。今日も行っちゃった。
露天風呂で木と空を見てました。
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by w_junji | 2005-02-01 01:56