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火星で出会った地球人

おお同士!こんなところにも人間はいたのだね。
はるばる火星までやってきたけど、
周りには蛸のような火星人や蛙のような金星人ばかりでどうしようかと思っていたのだよ。

親しい友達とか好きな人と出会った瞬間ってこんな感じ。
ちょっとしゃべって、目をきちんと合わせると
その人が自分と同じ地球の人なのか他の星の人なのかわかる気がする。

きちんとというのがポイント。
きちんとというのは正面から見据えるという意味じゃなくて思いを込めて眼を覗き込むこと。
そのときにどういう反応があるかで
なんとなく、非常になんとなくですが、確信がもてます。
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by w_junji | 2005-01-31 03:00

自分の思いを愛する

先日の学会でベストプレゼンテーション賞なるものをもらいました。
発表を聞いていただいた皆様、ありがとうございました。本当にうれしいです!

ただ、最近、自分の仕事に対する取り組みかたが、
まだまだ甘いなーと噛みしめていたときだったので
嬉しさと同時に、ちょっと苦い感じでもあります。

発表の前に、ボスと発表内容について話しているとき、
「話す内容をわかりやすくする必要があるから、この辺をこうしようと思うのですが」
と言ったら、
「でもね、そうしてしまうと、本質的な部分が隠れてしまわないか?
 いくらわかりやすいとしても、本質を曲げてはいけないと思うよ」
と言われ、そんなことを考えた自分にかなりガッカリです。

自分の尊敬する先生(還暦を超えています)は
自分の意見に対する批判が有名な雑誌に出たときに、
身体を張って相手の批判を受けて(くだらない批判であっても)、議論をし、戦っていました。

とあるゼミで、大好きな作家さんは発表者と喧嘩しながら、
自分の思いを伝えようとしていました。

自分が尊敬している人達はみな、
自分の思い、意見、主張を愛し、きちんとこだわりを持って伝えようとしています。

自分の意見に対する批判、反対を全て自分が受け止める覚悟を持って発言しているし、
それだけの覚悟を持って、何かを言うためには、
きちんと細かいところまで気を配り、本質的なところを逃さずわかりやすく伝える。
ということをしています。

なんとなく、こうなんですけどとは絶対に言わないし、
自分の言いたいこと、自分の主張をとことん理解しようとする。
その主張を支えるものは実験かもしれないし、論理かもしれない。
絵や音楽かもしれないけど、その姿勢は変わらないと思う。

そして、そういうことができている人ほど、少なくとも自分の分野に関しては、
「人は人だから、他人がどう考えようと、そういう意見もあるよね。」とは言わない。
ある領域に関して、自分の思い、世界観があって、
その世界観に対する異なる意見に対しては真剣に対応する。
(喧嘩のようになったとしても)

実は自分は、自分の信じるものをかけて、あまり人と喧嘩をしたことがありません。
なんとなく、うまくやってしまうことがけっこう得意だから。
喧嘩をするくらい真剣になるって、本気でそのことを考えているということの裏返しだし、
普段の行動から自分の思いの不純さ、浅さを思い知ることが多くて。
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by w_junji | 2005-01-31 02:32

スパイラル

最近、思います。
そろそろ一周したかなと。

約十年で、自分の人生のスパイラルが一周して元の位置よりちょっと上に戻ってきた感じ。
なんとなくですが。

本棚を整理してたら、十年前にいろいろ思ったことを書き連ねたノートが見つかりました。
それには、その頃の自分が疑問に思っていたこととその答えが書き連ねてありました。
よく見てみると、その頃の疑問って今自分が疑問に思っていることとあんまり変わらない。
問いは十年で一周しました。
でも、答えは違う。
少しだけだけど、明確で深い答えが今の自分には出せると思う。

この十年間のある時期、深く関わりあい、しかし疎遠になってきた人達と
最近、再び結びつきつつあります。
この一週間だけでも、2度驚くような再会がありました。

人生のスパイラルには始まりも終わりもないけど、
一周したときには、いろんなものが次の一周に向けて清算、再構成される気がします。

今がまさにそんな感じです。
卒業という節目だからかもしれないけど。
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by w_junji | 2005-01-30 02:29

ブログ見たよ。

最近、友達からブログみてるよー。
と言われることが多くなりました。

1回しか会ったことがない人なのに、気にしてくれてたんだ。
そう思うと、なんか嬉しくなってしまいます。
ありがとう。
たまたまかもしれないけど、いいんです。
何かの縁だから。

今日は視覚研究の学会に出てきました。
参加者が視覚メカニズムについて熱心に議論しているのを見ていると、
ふと、なぜだか、自分のやってることが本当に人の役にたってるのかな?
なんて思うときがあります。

学会に出て発表し、人の話を聞いていると、自分の好奇心・興味は満たされます。
でも、これを研究して本当に誰かがシアワセになるのだろうか?
シアワセになっているのは自分だけなんじゃないだろうか?

もちろん、自分がシアワセになるのは大事です。
自分がシアワセじゃないと、なかなか人に優しくなれません。
でも、視覚メカニズムについて何かが明らかになったとして、
自分の大事な人はシアワセを感じてくれるのでしょうか。。。

一応、自分は研究屋さんとして、生きていこうと思っています。
そして、何かを生業にするということは、
自分が満たされるということ(自分がシアワセになること)と
社会の役に立つこと(誰かがシアワセになること)の間の
折り合いをつけていくことだと思うのです。
では、研究屋さんはどうやって自分と社会の折り合いをつけるのでしょう?

研究の役の立ち方には大雑把に2種類あります。
社会の中で、社会が便利になるための研究。
工学とか、経済学とか、科学でもDNAの解析とかはそういう研究だと思います。
もう一方は、人が生きていくうえで、人の心が豊かに満たされるための研究。
哲学、芸術、心理学、自分のやっている認知科学、とかはこちらだと思います。
(もちろん、多くの研究はどちらかだけじゃなくて、両方の要素を持っています)

世間では、哲学や芸術のような研究を、何か役に立たないもののように言う人もいます。
でも、眼に見えない、人の心というものを変えるチカラを持った研究。
それはそれで素晴らしいものだと思います。研究者自身がそこに気付いている限り。
哲学や芸術のような分野の研究者は
自分だからこそ見える世界、自分だからこそ考えられる世界観、
少なくとも、人より半歩先の、半歩奥の世界を想像し、伝える義務があると思います。
自分が普通の人があまり関わらない世界、好奇心の最先端に身をおかせてもらっている。
そして、自分が形あるものを生み出し、社会に明らかな形で貢献することができない。
ということを研究者自身が認識できているのなら、
せめて自分のできる最低限のことはすべきです。

別に本を書いたりしていなくても、ブログを書く、人と話す、何でもいいのですが、
自分がそういう立場にいることを認識して人と接することは大事だと思います。
自分のシアワセを追い求めることが、どこかで
誰かのシアワセにつながることがあるということを常に頭の片隅に置いておきたいし、
そうなるように、自分のできる範囲のことをできる限りする。

自分のやっていること、自分の言葉、自分の行為が
それぞれの人のそれぞれのシアワセに、それぞれの生き方に
少しでも何らかの糧になればよいな。と思います。

この場を通じて、個人個人の深いところに届くような言葉を紡ぐことができたら
とは思うけど、いきなりはうまくいかない。
こういうことは続けていくことが大事。

みなさま、これからもよろしくお願いいたします。
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by w_junji | 2005-01-28 00:35 | 自己紹介の代わり

存在の理由と欲望の理由

「生きている理由」と「生きたい理由」

この2つってパッと見、同じような語感なのですが、
実はかなり違うことを意味している。

なぜ、自分がここにいるのか?なぜ生きているのか?

その答えは物理的には答えられます。
お父さんとお母さんがSEXをしたから。
だけど、価値としての理由は、多分答えることができないと思う。
ロボットのように、何かをするために生まれたのなら、それはあるかもしれないけど。
無目的的に生じたものに対して、無理に意味を与えることってどこか不健全な感じがする。

自分の生の価値、意味を考えることって
未来から自分を見、外部から自分を見る行為。
将来~をするために今はこうしている。
あの人が私を必要としているから私は生きている。

もちろん、そういう考えって自分が役に立っていることをリアルに感じることができるから、
それはそれでいいと思う。
でも、それが過ぎると、
その人自体の存在ではなく、だんだん人としての機能に焦点が当たってしまう。

~ができれば自分でなくてもいいんじゃないか?
あの人が必要とする人は自分でなくてもいいんじゃないか?

なんて感じで。
それって、個人-個人の関係の視点じゃなくて、社会からの視点になってくる。
社会からの視点って、結局、社会自体がうまく機能すれば、
個人個人は誰でもいいという考え方だから、
人としての機能価値を見出そうとすると、生きている意味を見出すことなんてできないし、
外部の価値観が変われば、自分の意味まで変化してしまう。

だから、自分の生きている意味を見出そうと苦しんでいる人を見ると
それが矛盾した行為のような気がしてしまう。

一方で、「生きたい理由」は自分の欲望の源泉を感じること。
視点は自分の内側に向いている。

自分の欲望には必ずといっていいほど原因がある。
例えば、ぼくはあの人が好き。
じゃあ、何で好きなんだろう?
あの微笑むときの眼差しが好き。
自分は心が映し出される眼の力強さに魅かれる。
とか、そういうことを考えると、自分の心の中、相手の魅力がより深く感じられる。

生きたいと思う。
実際、そういうのってあんまり意識に上らないから、
本当にそう思っているのかよくわからない。
なんとなくぼーと生きているだけと思っているかもしれないけど、
死にたいと思うときがあるかもしれないけど、
心のどこかではそう思っている部分があるのだと思う。

そういう気持ちを注意深くひろってあげて、その源を探し当てていくこと。
生きるってそういうことの連なり。
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by w_junji | 2005-01-16 01:34 | 自己紹介の代わり

身長172cm、体重60kg、精神年齢24歳、身体年齢32歳

もし、市役所の戸籍が消失して、自分が記憶喪失になったら、どうします?

とりあえず不便だから、名前をつけて、誕生日を設定する。
ロールプレイングゲームみたいに。

名前って親が決めたものだし、結婚したら変わる人もいる。
だから、すごく任意な感じがする。
でも、年齢って生まれてからの物理的な年月を示すものだから
なんとなく絶対的なもののような気がする。

でも、戸籍がなくなれば確証は自己申告だけだし、
記憶がなくなれば、もう誰もわからない。
そうなると、名前といっしょじゃん。
なんで、すごく重要なもののように、絶対的なもののように扱うのだろう?
物理年齢と身体年齢、精神年齢なんて一致しないことたくさんあるし。

うがった見方をすると
年齢は社会システムが人を管理するために設定したもの。
生まれて20年以上経った人はお酒を飲んでいいです。
何年以上経ったら結婚していいです。選挙に投票できます。
とか。

そして、多くの人は、いろいろなところでこの社会的な年齢を気にする。
もう、こんな歳なのだから、そんな風に考えるのはいけませんとか。
そろそろ結婚すべき年齢とか。

そういう基準の年齢という考え方は別に否定はしないけど、
社会のそういう視点をそのまま受け入れて思い悩むのも悲しいし、
自分が無意識のうちに受け入れていることに気付かないのはもっと悲しい。

そうならないためには、
精神年齢とか、身体年齢を計る機械とかがあればいいのかな。
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by w_junji | 2005-01-13 03:47

流れ

ダンスワークショップに出て思うこと。
お茶をたてているときに思うこと。
人と人の出会いについて思うこと。

結局みんないっしょなんだ。

「心体の流れを注意深く意識して、その慣性、ベクトルを殺さないこと」
「それぞれの動きのあいだのタイミングに気を使うこと」
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by w_junji | 2005-01-07 02:05

好きな女の子とお風呂に入るには。

1.お風呂に一緒に入ってよい?
2.お風呂入るけど一緒に入る?
3.お風呂に一緒に入ろう!

自分の欲望の伝え方はいろいろありますな。
そんなとき、コミュニケーションのセンスが問われます。

基本的に、人って
誰かに必要とされたいけど束縛されたくない。
誰かに気にして欲しいけど邪魔されたくない。

要求することはあなたを必要としている意思表示。
寛容であることはあなたを尊重している意思表示。

寛容な要求。

うまく両方の欲求を満たしてくれる人は素敵です。(自分を棚に上げて)
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by w_junji | 2005-01-07 01:50

記憶を返して!

最近、物忘れがひどすぎなので、
「健忘症」「若年性アルツハイマー」とかそんなキーワードでGoogle検索してみました。
なにやら、思っていたより奥が深い。
いろいろ調べているうちに、記憶障害とかアルツハイマーにかなり詳しくなりました。
せっかくなのでここでご紹介します。(まちがってたらゴメンナサイ)

●記憶の内容による分類
意識の記憶
 ・エピソード記憶 (いつ誰と何をした、e.g.昨日家族とお雑煮を食べた)
 ・意味記憶 (ものの属性、e.g.パンダの眼の周りは黒い)
身体の記憶(身体的に覚えたもの、e.g.自転車の乗り方)

●記憶の時間による分類
即時記憶:数秒
短期記憶:数分~数日
長期記憶 :年単位

●痴呆
加齢による痴呆と病気の痴呆

加齢による場合の多くは過去のイベントの一部が思い出せない
e.g.昨日のご飯がなんだったか思い出せない

病気の場合はイベント自体が覚えられない
e.g.ご飯を食べたこと自体思い出せない

健忘の種類
順向性健忘:新しいことを覚えられない
逆向性健忘:昔のことを思い出せない

病気の痴呆には2種類あり
・脳血管性の痴呆:血管の血栓などによる脳機能障害
・アルツハイマー病:脳自体の障害、特に海馬の障害

●アルツハイマー病の症状
○何をしたか新しいことが覚えられない
「エピソード記憶の短期記憶への記銘障害(順向性健忘)」

○徘徊
身体の記憶は健全なので運動自体はできる
しかし、空間認知障害がある:自分がどこにいるかわからなくなってしまう

どんなところで、どっちに曲がった等の
主観的な短期的記憶を空間的につなぎ合わせることができなくなる


こんな感じです。けっこう勉強になりました。
記憶がなくなるのって、人に言われるまでわからないけど、
自分がどこにいるかわからなくなるって結構ショックかも。。。

それで、健忘について、
実は大人も子供も殆ど変わらないくらい忘れているということが書いてありました。
子供はいろいろなことを新鮮に感じ、驚きを持って体験するから記憶に残りやすいだけで
大人は自分の中の知識に当てはめて見てしまうから、記憶に残らないのだそうです。

最近自分は、けっこう規則的な生活をしています。
そうすると、驚きがなくなったかというと、
逆に、普通の日常の中にこそ新鮮な発見がたくさんあります。
普段忙しくしていたときには気付かなかったことが見えるようになる。
自分の頭で、自分の身体で注意深く感じることができれば
普段の生活の中にこそ記憶に残るものがたくさんあるんだなと思います。
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by w_junji | 2005-01-06 03:45

月のある生活

月齢カレンダー。
毎朝、今日はどんな月かチェックして家を出ます。
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by w_junji | 2005-01-05 02:35