<   2004年 09月 ( 20 )   > この月の画像一覧

誰も知らない

なんで、理性的に、論理的にものを考えられないんだろう?
なんで、自分を見つめ、相手のことを思ってコミュニケーションができないんだろう?

自分も含めてなんですが、ときおり、絶望的な気分になります。

上に書いたようなことは
人が社会の中で生きていくには当然必要な技能だと思うのですが、
残念ながら、人間には生まれながらに備わって無い気がします。

だから教育が必要なのでしょうが、
小学校から大学まで一応通ったのですが、
これらのことを明確に秩序だって教えてもらった記憶はありません。
(授業に出てなかっただけかもしれませんが。。。)

社会において、人と一緒に生活する意義、その上で必要なこと。
どうやったら、人と充実した時間を過ごし、信頼を積み重ねていけるか?
自分とどうやったら向き合えるのか?
自分の感情をどう処理したらよいのか?

誰が教えてくれるのでしょう?

誰?と教育のせいにするよりも、
それができてないことに気付けない自分自身が問題なのかもしれません。
[PR]
by w_junji | 2004-09-25 02:45

残像とリアリティ

具体的に自分のやっていることを書いてみようかなと思いました。
自分のやっていることは目が動いたときに生じる残像の特性を調べることです。

こんな時計はご存知ですか?(ISM Inc. Fantazein)
a0014725_22451843.jpg

1本のLED(光る部分)が速く動くことによって目の中に2次元の残像ができるので、
1次元の光源(1本の棒)から2次元の画像を見せることができます。
すでに商品として売られています。

それで、自分のやっていることなのですが、
この時計の逆で、1本の棒が固定されていて、
棒が光っているときに目が動くと2次元の残像が目の中にできます。
上の時計は、眼が止まっていて棒が動く。
自分のやつは、棒がとまっていて眼が動く。
どっちの場合も眼の中(網膜というところ)には2次元の残像ができます。
なので、棒をがんばって動かさなくても眼が動きさえすれば2次元の画像が見せられる。
というものです。ただし、残像の見えている時間は一瞬ですが。
(こんな感じ)
a0014725_22454146.jpg


自分は、その残像がどんな風に見えるかを実際に目の動きを計測しながら調べています。

こういう方法で人が視覚情報を知覚するということは
普段、我々がどれだけものを見るために眼球を動かしているか(1秒間に3回も!)、
我々は受動的に情報を受け取っているのではなく、
自分から世界を能動的に見ているということを気付かせてくれます。

そして、人間は世界に物理的に存在しているもの(1本の棒)以上の
ものを自分の目の運動や脳によって知覚しているということを教えてくれます。
つまり、ぼくらが普段知覚しているもの、リアルに感じているものの多くは
実は、物理的に自分の外に存在しているもの以上に、
自分の中で生み出しているものが大きな役割を果たしている気がします。
例えば、精巧なファイナルファンタジーのキャラクタCGに違和感を感じてしまう
一方で、数本の線で書かれた似顔絵からでも
我々は豊かにその人の表情を読み取れたりします。

また、リアリティを再現しようと思うと
物理的刺激を再現する(例えばCGを細かくする)よりも、
その人のそのときの感情を伴った体験を再現することが重要となります。
そうやって体験を再現するためには、(体験は結局、人の心の中にしかないので)
物理的には情報が少なくても、人の心を動かすトリガーとなる情報が重要となります。
似顔絵の例では、人の顔の強調された特徴点でしょうか。

話はそれましたが、
自分がやっているような残像を使った情報提示って
いったい何の役に立つの?って感じですが、
2次元情報を出すのに固定された1本の棒ですむのでコストが安いとか、
残像を使っているので、空中とかにも絵が出せるとかあります。

最近では、舞台演出の中でも使ったりしています。
舞台って基本的に、お客さんは客席に座って舞台の情景を見るわけですが、
当然ですが、座る位置による違いを除けば、
殆ど同じ情景が全ての人に見えているはずです。
しかし、このディスプレイを使うと、ちょっと面白い演出が可能になります。
このディスプレイは眼が動いたときにしか、画像が見えないので、
それぞれのお客さんが眼を動かしたときに画像が見えます。
お客さんはそれぞれ違うタイミングで、違う方向に、違う大きさの眼の動きをするので、
お客さんそれぞれは異なる残像によって演出された舞台の情景が見えます。
つまりは、すぐ隣に座っている人でも、
眼の動きが違えば、異なる舞台の情景が見えます。
こんな感じ。↓(a)眼が動いてないとき、(b)眼が動いているとき
オレンジのつなぎのようなものを着たのがパフォーマーです。
a0014725_22461339.jpg


自分達の見ている世界、感じている感情とかって
ぜんぜん、絶対的なものじゃなくて
結局、自分の動き、精神状態、経験とか自分の内側からの情報を反映していて、
自分が外界を見ている、感じていると思っているものは、
実は自分の心の中を見ているのかもしれない。と思います。
[PR]
by w_junji | 2004-09-25 02:08 | 自己紹介の代わり

心の同時通訳

言葉には力があるから、
そして、ここに書いてあることって、
自分の中の一面を言葉によってクローズアップしたものだから、
会ってぼくと話した人はがっかりするかも知れない。なんて時々思います。

自分は雄弁ではないし、
かといって、気の利いたことをボソッと言えるわけじゃない。
それに、自分の感情についてしゃべるのはまるで下手だし。

自分は何かを感じながら生きています。
そして、その何かを誰かに伝えたい。という気持ちは少なからずあると思うのです。
だけど、その何かをすぐに言葉にして相手に伝えるのは難しいこと。
自分にとっては。(そういう訓練ができてないのかな。)
自分の心と向き合いながら、人と向かい合うのはすごく大変。
正直めんどくさくなるときもあります。

でも、やっぱり、生きている誰かに感じていることを聞いて欲しいし、
みんなが何を考えて生きているのか知りたい。

人とコミュニケーションしたいと思う切実さの前では、
めんどくささなんてどこかに消えてなくなってしまうはず。
[PR]
by w_junji | 2004-09-23 19:19

短すぎる一日。長すぎる毎日。

多分、何かを十分やってから次に進んでいる時間はないと思う。

人生、夢を追うには一日は短すぎるし、続く毎日は夢をあきらめるには長すぎる。

本当に夢を追うには、学んだことを確かめている暇はなくて、
常に、新しいことを一度でインプットしつつ次へ進まなければいけない。
別に何かにあせっているわけじゃないけど、ただ、なんとなくそう思う。
確かめている過程ってただの自己満足のことも多い。
自分を客観的に確かめてるよりは、次のものを探しに出てみるのもよいかも。

Sleep now, you were not spectators. You were part of the spectacle.
by マリリンマンソン
http://www.marilynmanson.com/
[PR]
by w_junji | 2004-09-22 03:09

不安と危機感

なんだかわかんないけれど、最近、危機感が増殖しています。

自分の研究者としてのキャリアはあと20年しかないんだ。とか
今が一番自由な時期で、今何もできなければ、今後もたいしたことはできない。とか
なんか、いろんな危機感がリアリティを持って襲ってきます。

いろいろ自分の人生に対して漠然と不安に思ってきたことが
人生の拘束条件として具体的に見えてきて、危機感として現れてきた気がします。

将来を不安という形でとらえるんじゃなくて、それを真正面から捕らえて、
危機感として心のどこかにおいておくことができたらいいのかな。なんて思います。

不安が具体的だからこそ対策も立てられる。
危機感を持って生きてると
「できるかできないかわからない」けど「自分の全てを尽くすしかない」
なんて感じで物事に取り組めて、いい意味でのドキドキがある。
そして、わからないからこそ、希望や成し遂げたときの達成感が生まれる。
危機感があるからこそ、ちょっと普段では躊躇してしまう
少し大き目の一歩を踏み出すことを決心できる。

不安でなく、危機感のある生活。
そんなに悪くないと思います。
[PR]
by w_junji | 2004-09-22 02:20

てるてる坊主の生き方

てるてる坊主は毎日、晴れを祈っています。
誰かのために晴れを祈っています。

「晴れを呼ぶ。」
彼の存在する意味は、はっきりしています。

あなたはこのために生まれ、生きている、ということを誰かが教えてくれたら、
ある意味、楽かもしれない。
そのことを自分のできる範囲で実現していけばよいのだから。

だけど、自分で自分の意味を見出す辛さとそれを実現していく喜びを得ることはできません。
何もできない自分と向き合い、そこに意味を見出すことはすごく辛い作業です。
ちっぽけな自分が世界に存在する意味なんてどこにも無い気もします。。。
でも、最近、少しずつだけど、
その意味を自分なりに言葉にしていく勇気が出てきました。

・他人と真摯に向き合うなかから、自分を探し出すこと。
・他人に、社会に対し自分の価値観を問いかけ、喜びをもたらすこと。

自分の意味探しはこの辺からはじめようと思います。
[PR]
by w_junji | 2004-09-22 01:58

コミュニケーションと努力

自分の思ったことを何も考えずに言葉にしても
当然、相手には伝わらないです。

コミュニケーションするにはいろんなものが必要です。
・相手に伝わらないことに対する危機感
・自分の感情に気づく繊細さ
・相手に伝えるのに必要な言葉の見積もり
(どのような言葉を使って、どの程度言葉にすればよいか?)
・感情を適切な言葉に変換するボキャブラリー

何より、相手に伝えようとする意思、欲望、そして、伝わらないことへの恐怖がないと、
隠語や省略語の伝わるごく親しい仲間や身内にしかコミュニケーションができなくなります。
ただ、危機感自体がない人にとっては、
伝わってなくてもその人にとっては何も問題はないのですが。。。

自分の感情に気づかなないと、恋や友情に必要な、他人との感情の交流ができません。
男の子にありがちなんですが、
何かの結果として生じた「好き」とか「うれしい」という感情自体を言葉にすることはあっても、
その感情がなぜ生じたのかという、ある程度無意識な過程を言葉にすることを
めんどくさがります。というか、言葉にする必要性を感じていない場合があります。
それって感情への繊細さがあっても、
伝えようとする意思が欠如していて、相手が何を知りたいかわかっていない状態です。

相手にどんな言葉で伝えればよいのか?
例えば、工学者と芸術家は話ができないことが多いです。
彼らはそれぞれ思考形態が違うので、その思考形態に基づいて話さないと通じません。
そして、どの程度正確な言葉にしなければいけないのか?
自分の心を
「こんな感じ」というようにイメージで話して大丈夫なのか。
それとも、具体的に様々な形容詞を用いて描写すべきなのか。
言葉は心に残り、人を動かす力があります。
相手がその言葉の力をどれだけ信じているか、
言葉にどれだけこだわりを持っているかということを知るのは難しいですが、
実はかなり重要なことだと思います。

最後に、ボキャブラリーが無いと、結局、今までの努力は無駄になります。

こう考えると、人と話す、コミュニケーションすると言うことは
すごく難しい技術だし、習得するのにかなりの努力がいりますね。

がんばります。

コミュニケーションが達成されたと確信できたときの快感って
生きている喜びのひとつだと思いますし。
[PR]
by w_junji | 2004-09-20 02:16

平行移動 in 世界

日本にいると、
留学ってなにか特別なことのように思ってしまう。
内から外へ。って感覚が付きまとう。

それは、日本が閉じているから?

日本にいると、いろんなデータ(事実の報道)は入ってくるけど、
それにはまるでリアリティがないというか、リアリティを感じることができない。
リアリティを感じるには、
実際にそこにいくか、身体感覚に結びついた想像力が必要だと思うのですが、
どちらを実現するのもけっこう難しい。
なので、なんとなーく、国外のことは、(もしかしたら国内のことでも)
自分と関係なく、過ぎていく。

それが、留学なんてことを考えだすと、急に国外のことが意識に入りだし、
自分は国外のことに対して何のリアリティも感じていなかったことに気づく。

場所が変われば、文化、言語が変わるから
それに適応する必要があるけど、
留学って別に、学び、生きる場所が変わるだけ。
内から外へじゃなくて、ただの平行移動。

日本は電車で1時間行けば
文化も言葉も違う隣の国がある、なんて状況じゃないからかもしれないけど、
日本の中にいると、なんとなく閉じている感じがつきまとってくる気がします。
[PR]
by w_junji | 2004-09-19 13:10

なな?

5年くらい前のインテル(イタリアのサッカーチーム)のサードユニフォームです。
サードはアウェイで相手のユニフォームと色が重なったときに着るやつです。
なので、普通は着ません。
a0014725_1729552.jpg

[PR]
by w_junji | 2004-09-14 17:19

お絵かき2@ザルツブルグ

川べりでお城が見えました。
a0014725_11544035.jpg

[PR]
by w_junji | 2004-09-14 11:52