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茶の道

茶室で一番大事なものは掛け軸です。
茶室に来た人たちは
掛け軸を見て、それをきっかけに自分の世界へ入っていきます。
掛け軸がその日の茶の雰囲気・空気を決めます。

もちろん、自分の世界に入っていても、
もてなしてくれる人に感謝・尊敬の心を忘れてはいけません。
茶のお作法を身につけるということは、
無意識に相手を尊敬する仕草、振る舞いを身につけるということで、
自分の世界に入りながらも、
どうやって他人をリスペクトしながら生きるか?という知恵にあふれています。

実は、茶室に来た人の中でただ一人特別な存在がいます。
一番上座に座っている人で、
この人は、常に、もてなしてくれる人に対して注意を払うことが要求されます。
お茶を入れている仕草、部屋の移動、すべての行動に対して
もてなす側とコミュニケーションする必要があります。

自分の世界で自分なりに生きていながら、
常に人に注意を払い、気にかける。
これって、自分の世界を自分の外側に広げないとできないことだし、
誰かを気にしながら、
それに全てを奪われたり、それに過度に依存することなく、
自分の世界を深め、広げていく。
そういう関係って、素敵だな思いました。
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by w_junji | 2004-07-27 18:50

素敵なコミュニケーション

細心の注意が行き届いていながら大胆。

論理的ビジョンを持ちながら直感的。

快適で落ち着くけど、切ない。

コンセプチュアルでありながら肉感的。

そして、一番大切なのは素敵なタイミング。。。
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by w_junji | 2004-07-24 03:36

科学者の覚悟

「工学」という学問は
人の役に立つこと目指してて、人が生きる環境を豊かにしてくれます。
学問自体が人間の役に立つことを目的としていて、形あるものを常に生み出している。

一方、「科学」という学問は
人間の本質に対する、科学者それぞれの自己表現であって、
なにか実験をしたとしても、本質に対する洞察が深くなければ、
その実験は何の意味も持ちません。
科学はその人の人間・世界に対する見方が問われるわけで、
その人の生き方と表裏一体。

そして、科学で身を立てるということは
形にならない、人の本質に対する自分なりの価値観の表現を続けていくことであり、
研究ができなくなることは、
自分のアイデンティティが表現できなくなることを少なからず意味します。

そんな世界で活躍している人を見ると、
「自分の人生、研究できなくなったら、それでしょうがない。」
なんて雰囲気を感じます。
「しょうがない」というのは、否定的な意味じゃなくて
この道で自分は生きていくという覚悟をもっている、腹をくくっているという意味。

科学者は、世界に対して役に立たないことをしているけど、
(科学者はもっとこのことを自覚すべき!)
その一方で、覚悟を持って自分の役割を全うしている人の生き方は、
多くの人に影響を与え、多くの人を支えることができるのではという気もします。
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by w_junji | 2004-07-24 03:27 | 自己紹介の代わり

小心者

一人で自由に生きてるつもり。
自分が大事だから他人には干渉しない。

自分にはいくらでも冒険ができるのに
人を巻き込むことを怖がってる。

仕事、家族、恋愛、結婚。
世界には一人ではできないことが山ほどあるのに。
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by w_junji | 2004-07-21 00:32

イチャレバ

沖縄市についたその日に宴会が開かれて
たまたま、自分も参加させてもらいました。
「イチャレバ キョウディ、乾杯。」
なんてことを沖縄の人はよく言っていました。

イチャレバ キョウディ。
一度会えば兄弟という意味だそうで。
そのとき、その人といる、いまを大事に。
できる限りのホスピタリティを示す。

自分が生きている世界の中で
その人に会えたことの感謝を示せたら、
少しでも自分の足跡をその人の心の中に残せたら。
なんて思いが伝わってきた気がします。

次、会うことはないから、なんて考えたら
そんなことをする意味はないかもしれません。
でも、未来のための「いま」じゃなくて、
誰かといっしょにいる「いま」を
心のそこから喜び、楽しむことができればいい。
2度と会うことはないかもしれない。
だからこそ、この今、会えたことを大事にしたい。
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by w_junji | 2004-07-21 00:27

自分のルーツ

ユタ(沖縄の巫女さん)に会いに行こうと思いました。

沖縄に行く機会があり、会う約束までしましたが、結局は会えずじまいでした。

でも、なぜ、
自分はそんなにしてまでユタに会いたいと思ったのでしょう。

「科学として人の意識を研究するだけじゃなく、人と世界の関係を知りたかったから。」
うーん、なんか嘘っぽい。

「ユタはどんな世界観で世の中を見ているのか
自分の人生を生きるうえで参考にしたかった。」
就職試験の答えみたい。

いろいろ考えてみると、
「世界に対するつながり、自分のルーツが知りたい。」
という考えが浮かんできました。

今の自分は、どこかで
変わり続ける自分に対して戸惑いがあるのかもしれない。
もしかしたら、
常に選択し続けねばならない現実を不安に思っているのかもしれない。。。

自分が変わり続ける限り、その戸惑いや不安はやってきます。
でも、変わり続けるからこそ、それは永遠ではない。 とも思います。

そして、自分が限りなく変わり続けようとも戻ってこられるルーツが知りたい。
そんな感じでしょうか。
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by w_junji | 2004-07-14 03:38

もともと

コミュニケーションは自分の気持ち、直感を信じることから始まる。

目の前にあふれるものに惑わされず、
相手の言葉の向こう、行動の向こうの気持ちを感じとる。
素直に、思った通りに、自分の直感を信じて。

そして、思いは言葉にしないと伝わらない。

それだけ。
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by w_junji | 2004-07-04 19:28

自分の言葉が魂を運ぶことを願って

ダンサーの友達が言いました。
指先の感覚まで研ぎ澄まされる、いつもと違う日があるんだよね。

科学者の友達が言いました。
ある日、神がおりてきて、半年分の実験のセットアップが一日でできてしまう。

どうやら、Creativityを発揮する分野に携わる人達にとっては
突然、身体や頭が最高のパフォーマンスを発揮する特別な日があるようです。

過去の自分のブログや論文を読み返したりしていると、
よくこんな文章を書けるなー
と自分でも不思議に思うくらい
心動かされる文章を書いているときがたまにあります。

文章に言霊が乗り移っているというか、なぜか、読んでいてドキドキします。
思い返すと、こういう文章を書いているときは、
考えてもみなかった言葉がキーボードからあふれ出し、
自分の新たな内面を見せてくれます。
そうでないときはいくら書いても
浅はかさがにじみ出ていたり、洞察のない一般的な話だったり、
言葉がただの記号になってしまっています。

言葉に魂が宿る瞬間。
ただただ、その瞬間に出会うために、日々思いを書き続けている気がします。
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by w_junji | 2004-07-02 23:30

心と身体

人の身体って不思議です。
ちょっと運動しただけなのに次の日には身体が引き締まっていたり、
ちょっと油断してると、何だこれは?と思うくらいゆるくなっていたり。

それに、身体は心の運動によっても影響をうけて、
心がすっきりしていると身体もすっきり。
一晩泣いて心を整理した後は寝てなくてもお肌はつやつやだったりする。

では、心と身体の違いは何だろう?と考えると
その違いのひとつとして
身体は連続的に変わるけど、心は離散的に変わることかなと思います。

身体はある状態からある状態へ連続的に変化するけど、
心の場合、
今までの思いが一晩で、一言で崩れたりしまったり、
長い時間かけて培ってきた信頼、愛情があっという間に崩壊することもある。
時に思いがけないほど、心は弱く、移ろいやすい。
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by w_junji | 2004-07-02 18:27