モホイ・ナジ

モホイ・ナジは20世紀初頭に活躍したハンガリーの芸術家。
メディアアートの先駆者とも言われています。
彼は芸術家の役目を以下のように定義しています。

「同時代人の精神的な生に方向付けとともに構造や洗練を与えていくこと。
 生物学的機能の未知の領域に入り込み、工業社会の新しい次元を探り、
 新しい発見物を情緒的な定位に翻訳すること。」
 (井口寿乃 「ハンガリー・アヴァンギャルド」より改編)

人を知ること(心理学)。社会を知ること(社会学)。物質を知ること(物理学)。
人間の心に共通の性質、社会の共通原理、物体の物理法則がわかったとして、
そこでわかった事実を我々一人一人の人間、一人の個人としてはどう解釈すればよいのか?
それらによって私、自分自身の生はどう変化するのか?

新たな解釈によってその精神的な意味付けをし、精神的な生を豊かにするのが芸術だと。
(それらに基づいて人間の物質的な生を豊かにするのは工学。)

結局、どんな学問も、人間の生を活性化させ、満足させるために存在する。

そして、モホリ・ナジは
人間は自己を取り巻く環境をどう解釈するかということに興味を持っていました。
自分は彼のその姿勢に何より共感を覚えます。

人間は環境を観察しているのではなく、「解釈」している。
物理世界は知覚世界とはまったく別もの。
物理世界は知覚世界を生じさせるトリガーでしかない。
物理世界は知覚世界を生じさせるけど、
もしかしたら物理世界がなくても知覚世界は生じ得るかもしれない。

自分のやっている認知科学はその物理世界と知覚世界の断絶を明らかにしてくれる。
一般的な意味で。
なぜ、「一般的な」というかというと、
科学という学問が、人間という生物全体の共通性質として、
物理世界をどういうふうに知覚世界として解釈しているかを明らかにすることが目的だから。

では、それはどう、個人の生に関係付けられるのか?

自分はまだ、はっきりとした答えをだすことはできません。。。

ただ、自分が解釈していることを認識することの大事さ。
つまりは、自分のフレームワークの存在を意識し、その性質を知ること。
そして、一人一人が解釈している世界の多様さ、貴重さ、かけがえのなさを意識することは
個人個人の生の活性化へつながるのではという気がしています。

人の一般性質を知りたいという興味。
そして、得られた新たな事実を、自分なりの視点から、個人個人の心に対して意味づける。
人の心の生が活性化し、満足する方向に向けて。
両方やりたいと思う自分は欲張りなのかな。
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by w_junji | 2005-02-17 02:51 | 自己紹介の代わり


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