ブログ見たよ。

最近、友達からブログみてるよー。
と言われることが多くなりました。

1回しか会ったことがない人なのに、気にしてくれてたんだ。
そう思うと、なんか嬉しくなってしまいます。
ありがとう。
たまたまかもしれないけど、いいんです。
何かの縁だから。

今日は視覚研究の学会に出てきました。
参加者が視覚メカニズムについて熱心に議論しているのを見ていると、
ふと、なぜだか、自分のやってることが本当に人の役にたってるのかな?
なんて思うときがあります。

学会に出て発表し、人の話を聞いていると、自分の好奇心・興味は満たされます。
でも、これを研究して本当に誰かがシアワセになるのだろうか?
シアワセになっているのは自分だけなんじゃないだろうか?

もちろん、自分がシアワセになるのは大事です。
自分がシアワセじゃないと、なかなか人に優しくなれません。
でも、視覚メカニズムについて何かが明らかになったとして、
自分の大事な人はシアワセを感じてくれるのでしょうか。。。

一応、自分は研究屋さんとして、生きていこうと思っています。
そして、何かを生業にするということは、
自分が満たされるということ(自分がシアワセになること)と
社会の役に立つこと(誰かがシアワセになること)の間の
折り合いをつけていくことだと思うのです。
では、研究屋さんはどうやって自分と社会の折り合いをつけるのでしょう?

研究の役の立ち方には大雑把に2種類あります。
社会の中で、社会が便利になるための研究。
工学とか、経済学とか、科学でもDNAの解析とかはそういう研究だと思います。
もう一方は、人が生きていくうえで、人の心が豊かに満たされるための研究。
哲学、芸術、心理学、自分のやっている認知科学、とかはこちらだと思います。
(もちろん、多くの研究はどちらかだけじゃなくて、両方の要素を持っています)

世間では、哲学や芸術のような研究を、何か役に立たないもののように言う人もいます。
でも、眼に見えない、人の心というものを変えるチカラを持った研究。
それはそれで素晴らしいものだと思います。研究者自身がそこに気付いている限り。
哲学や芸術のような分野の研究者は
自分だからこそ見える世界、自分だからこそ考えられる世界観、
少なくとも、人より半歩先の、半歩奥の世界を想像し、伝える義務があると思います。
自分が普通の人があまり関わらない世界、好奇心の最先端に身をおかせてもらっている。
そして、自分が形あるものを生み出し、社会に明らかな形で貢献することができない。
ということを研究者自身が認識できているのなら、
せめて自分のできる最低限のことはすべきです。

別に本を書いたりしていなくても、ブログを書く、人と話す、何でもいいのですが、
自分がそういう立場にいることを認識して人と接することは大事だと思います。
自分のシアワセを追い求めることが、どこかで
誰かのシアワセにつながることがあるということを常に頭の片隅に置いておきたいし、
そうなるように、自分のできる範囲のことをできる限りする。

自分のやっていること、自分の言葉、自分の行為が
それぞれの人のそれぞれのシアワセに、それぞれの生き方に
少しでも何らかの糧になればよいな。と思います。

この場を通じて、個人個人の深いところに届くような言葉を紡ぐことができたら
とは思うけど、いきなりはうまくいかない。
こういうことは続けていくことが大事。

みなさま、これからもよろしくお願いいたします。
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by w_junji | 2005-01-28 00:35 | 自己紹介の代わり


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