「人はなぜ、必ず死ぬのに生きるのか?」

というテーマの講義に出てきました。
田口ランディさんが講師です。

自分なりには、テーマが大きいなぁと思っていたので
「人が豊かに生きるためにはどうすればよいのだろう?」
ということに読み替えながら聞いていました。
講義内容はここで詳しくは書きませんが、
1、人が人として存在する以前のもう一つの世界や時空間が存在する以前のもう一つの世界
2、人と人が拠りあう中で生まれる場への信頼
3、生や死を社会制度から取り戻すこと
についておっしゃっていた気がします。

ぼくの解釈ですが、
1は、大いなるもの(例えば自然、時間の流れ、空間という概念)と自分の相対化のこと。
自分の見ている、感じているものが全てではなく、
それらが具現化され、意識に上る前に存在しているもっと豊かな世界の存在を感じること。

2は、自分と相手との間に生じる言葉の向こうにある空気、魂のつながりのこと。
言葉で伝えられることの向こう、
相手の存在を、相手の存在との関係性を信じるところから始めるべき。

3は、例えば、陣痛が始まったときが子供が外に出たいと思ったときになのに、
死のリスク回避のために病院に入り、帝王切開をする。
それでは、生死すら社会の都合で決められていることになる。


「人が豊かに生きるためにはどうすればよいのだろう?」
ということに対して自分なりの答え、と関わり方。

まず、社会と自分を相対化することが重要だと思う。
自分が何かを好きだ、何かをしたいと思うとき、つまり、自分の価値観が表出するとき
それが、社会の価値観によって決められているのか、
自分自身の内なる心から出ているのか。
きちんと把握すること。

把握して、何もない自分を見つけたとき、
すごく辛く感じるかもしれないけど、そこからスタートしていくべきだと思う。

そんな社会の価値観と自分の価値観の相対化をしていく上で
自分は何ができるだろう?

今、自分のやっていることは主に人間の知覚を調べること。
それって、実は物理世界と知覚世界の相対化なのだと思う。
物理的には同じものでも、こんな風にすると違うものに見える。
(例えば、<---> と >---< の長さ)

もちろん、物理世界のルールは重要。
ニュートンの物理法則とか電磁波のいろんな方程式が成り立たないと生活ができない。
でも、それだけじゃなくて、
同じ物理環境からでも人はそれぞれ、異なる豊かな世界を感じている。

それって、社会と個人の関係にも言えて、
社会システム(例えば、国という概念、法律とか)は、
それがないと、日常の様々な規則、決まりごとが動かない。
でも、社会のなかでは、一人一人は代替可能な構成要素でしかない。
個人は社会に対して代替可能な役割という立場でしか関われない。
一方で、個人はかけがえのない自分であり、かけがえのない相手である。
個人として、自分も相手の気持ちを感じることができる。
そういう風に、社会的には匿名で役割としてしか扱われなくても、
そこに豊かな個人は確実に存在する。

そういうことに気付き、もっと意識しながら生きていけたらと思う。
自分は価値観の相対化をそのまま文章とかで表現するのではなく、
知覚レベルでの相対化というところからアプローチしてみようと思う。
そして、それを舞台とかで、多くの人に体験してもらえたら。

結局、
自分の見ているものがどれだけ適当でいいかげんで、
同時にかけがえのない美しいものなのか。
そして、それを伝え合うことの難しさ、
同時にそれを交換し共有できたときの豊かさ。魂のつながり。

そういうことを自分は探しているのだと思った。
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by w_junji | 2004-12-17 11:17 | 自己紹介の代わり


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