われわれはあまりに個(個体・個人)にとらわれすぎていないか

『ネットとリアルのあいだ』(西垣通2009)のなかで
情報技術によって個々人が大きな社会システムの中に匿名の人間として組み入れられ
個としての生きる力を個人の中にしか求められなくなってしまった
現在の状況を氏が語るなかで出てきた言葉です.

違うところで,何かがつながったような気がしました.

チュニジア・エジプトの革命の生の情報を日本語に翻訳して
Twitterで配信しているモーリー・ロバートソンさんさんという方の文章です.
長いですが,引用させていただきます.

「価値観の違う人たちがそれぞれ、幸せを追求するためには同居・共生をしなくてはならない。
 しかし現存のルールはもしかすると過去の植民地支配、資本主義、グローバリズムなどの
 しがらみに引きずられ、けして良い解決策を生み出すことはできず、また新たな「テロとの戦争」
 という無限の争いを引き起こすという構造になっているのかもしれない。
 つまり価値観に世界性がないのです。」
「それを乗り越えて、お互いに違う、だけど限定的には分かり合える、
 そして共鳴し合える部分を楽しむことができれば、それが普遍性を帯び、
 固有性・単一性と多様性の間にブリッジを造れるのではないか?」


魚や鳥の群れの個々の個体は,どこへ向かっているのか,全体がどんな形をしているか
その全貌は知らないかもしれない.
だけど,あたかも群れ全体がひとつの意思を持つように動くことができる.

人間の身体的に感じる力は動物よりも劣っているかもしれない.
しかし,現在,私たち人間が手にしている技術は,
個人としての感受性を
遠くの他人へだけでなく,多くの人の集まりの中から生まれる全体の意思や,
人間全体の意思へ,広げることができるのではないのだろうか.


参考文献
Groove Japan(モーリーさんのサイト)http://groovejapan.jp/videos/04/
エジプトの映像 http://www.youtube.com/watch?v=w3FQXYdyHCg
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by w_junji | 2011-02-09 01:22


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