以下、曽田正人 『MOON』7巻より
( 『MOON』は宮本昴というダンサーを主人公としたバレエのダンスマンガ)
「すごい技を使って技ではない何かを伝える。そういう世界でわたしは生きたいのです。」
「わたしの一生は、バレエの真理をつかむためにある。」
「存在感(エネルギー)など無い。ただ、あるがまま、”美しいだけ”のもの。」
サラっとマンガの中で出てくる台詞なのに、とっても心をつかまれる。
「技」を「研究」にして、「バレエ」を「人間・世界」に変えたら。
「すごい研究をして研究ではない何かを伝える。そういう世界でわたしは生きたいのです。」
「わたしの一生は、人間・世界の真理をつかむためにある。」
「存在感など無い。ただ、あるがまま、”世界の理”だけ。」
このマンガ、もともと『昴』というタイトルだったのに、休載後『MOON』に変更されました。
太陽のように外へ外へ自分を表現することは,
結局のところ、人の心を動かすことにはつながらないように思う。
むしろ、ただただ、月のようにそこにあるだけ。
私たちは月を見るとき、太陽の光を見ているのか、それとも月を見ているのか。
もし、真理という見えない光があるのならば、
それは何かを映すことでのみ感じることができる。
もし人間や世界に真理というものがあるのなら、
芸術家や研究者はその光を映し出す月となることが仕事のような気がします。